カントの自我論 の商品レビュー
批判期から遺稿の『オプス・ポストゥムム』に渡って、カントの自我論の変遷を追いかけた研究書。 著者はまず、カントの『第一批判』における超越論的統覚の「自己触発」について論究している。「自己触発」は、外的対象による「外的触発」とは区別され、内感がその超越論的主体である「思惟する自我...
批判期から遺稿の『オプス・ポストゥムム』に渡って、カントの自我論の変遷を追いかけた研究書。 著者はまず、カントの『第一批判』における超越論的統覚の「自己触発」について論究している。「自己触発」は、外的対象による「外的触発」とは区別され、内感がその超越論的主体である「思惟する自我」によって触発されることだとされている。その上でカントは、外的触発者である超越論的対象が未知の「X」にとどまるのと同様に、内的触発者である超越論的主体も「未知」であると主張するが、それは理論的見地においてのみそのように言えるのであって、実践的見地からすれば「自由な主体」として認識されることを承認している。 こうして著者の考察は、自然に対する立法者としての超越論的統覚とは区別される、「実践的統覚」と呼ぶべき自由の主体へと向かってゆく。『第二批判』では、自由の事実は理性の事実である道徳法則を通じて獲得される。しかし、叡知的であると同時に感性的である人間の現実的な行為は現象界のうちでおこなわれることになる。その意味で「自由」は、経験のうちでその実在性を示すことが承認されなければならない。カントは、自由がみずからの実在性を、 「行為そのものを通じて」「行為において」経験のうちに証すと考えていた。 さらに著者は、晩年の『オプス・ポストゥムム』を考察の対象に取り上げている。そこでカントは、外的知覚を物質の「運動力」と関係づけるという「物理学への移行」をおこなっている。ここで外的触発は、物質の運動力と主体との関係から説明されることになるのである。同様にカントは、自己触発についても、フィヒテを思わせる「自己定立」という概念への変更をおこなっている。彼は自己自身を客体化する統覚の働きを「論理的活動」と「家寺上学的活動」に区別し、私自身を思惟する前者のみならず、私自身を直観する後者の働きを認めるようになるのである。著者はこうしたカントの晩年の思想を、理論哲学と実践哲学の関係をよりいっそう密接にするものとして捉えようとしている。
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