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「日本」とは何か の商品レビュー

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2024/04/12

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2023/02/24

「日本」という国号がどのようにして生まれ、人びとがそれをどのように意味づけてきたのかということを論じた本です。 「あとがき」で、本書は『古事記と日本書紀―天皇神話の歴史』(1999年、講談社現代新書)の続編だと述べられているように、著者は『古事記』と『日本書紀』における国号のち...

「日本」という国号がどのようにして生まれ、人びとがそれをどのように意味づけてきたのかということを論じた本です。 「あとがき」で、本書は『古事記と日本書紀―天皇神話の歴史』(1999年、講談社現代新書)の続編だと述べられているように、著者は『古事記』と『日本書紀』における国号のちがいについて考察を展開しています。「日本」という国号は『日本書紀』に現われ、中華的世界像の影響を受けつつ、日本を「貴国」、日本の外部である朝鮮を「西蕃」とする世界観のなかで理解するべきだと論じています。 つづいて著者は、こうした世界観にもとづいて理解される「日本」が、中国に受け入れられなければならなかったことについて考察をおこないます。ここでは多くの史料を渉猟しながら、古代中国の世界像のなかで「日本」や「扶桑国」といったことばが日の昇る東の極地を意味していたことを明らかにし、「日本」という国号が中国にとっても受け入れ可能なものであったと主張するとともに、それを可能にした粟田真人の活躍などについても触れています。 さらに著者は、こうして成立した「日本」という国号が、あらためてこの国のなかでどのように意義づけられていったのかという問題に着手します。ここでは、日本紀の講書から近世および近代にいたるまでの「日本」の意義づけの変遷が解明され、日神の国という意味をもつ神話的呼称として「日本」という国号が理解されるようになった経緯が示されています。 『古事記と日本書紀』の続編というよりも、それに関連するひとつのテーマを徹底して追求した本という印象ですが、興味深く読むことのできる内容でした。

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2018/10/13

「日本」の登場◆古代帝国における「日本」◆古代中国における「倭」と「日本」◆『日本書紀』講書のなかの「日本」◆「日本」と「やまと」◆「日本」の変奏◆「東海姫氏国」ほか◆近代における「日本」

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2013/08/13

著者のまとめる「おわりに」のラスト5行、「現在の私たちが「日本」について国民的合意を持っていないのは、…」?????こういうのをトートロジーと言うかどうかは知らないが、自身が自明としている「国民的合意を持っている国」とは、何なのか? ネーションステートが想定されているとしたら、こ...

著者のまとめる「おわりに」のラスト5行、「現在の私たちが「日本」について国民的合意を持っていないのは、…」?????こういうのをトートロジーと言うかどうかは知らないが、自身が自明としている「国民的合意を持っている国」とは、何なのか? ネーションステートが想定されているとしたら、この本は最初の意図から全部むちゃくちゃということになる。

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2011/06/18

 「日本」という国号の由来と成立について述べた本。『古事記』、『日本書紀』は勿論、中国の史料、平安時代の講書や本居宣長の説を検討がなされている。  「日本」という呼び名には自称説と他称説がある。実際のところは後者であり、中国の世界像で誕生したという方が正しいようだ。  外部...

 「日本」という国号の由来と成立について述べた本。『古事記』、『日本書紀』は勿論、中国の史料、平安時代の講書や本居宣長の説を検討がなされている。  「日本」という呼び名には自称説と他称説がある。実際のところは後者であり、中国の世界像で誕生したという方が正しいようだ。  外部を想定しない『古事記』で日本は「大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)」と表記され、「日本」という呼称が一度も出ないのに対し、外部を想定する『日本書紀』では「大日本豊秋津洲」と書名でも呼称でも「日本」を使うという対比関係からもわかる。  「日本」という国号が正式に定められたのは701年の大宝令制定の時であり、この頃に唐(正式には王朝は則天武后の「周」)からの承認を得たものである。少なくとも中国の王朝が隋である頃から「日本」という国号は用いられていた。  その過程には、中国で日本が日出処(『隋書』)、日辺、倭国日本(『旧唐書』)、暘谷(『文選』)、日下(『爾雅』)、日域(盧照鄰の「病梨賦」)と呼ばれていたものを、日本が国内をまとめ、朝鮮を服属させるという意図を持って呼称として使うようになったと述べている。  内容は興味深いが、この本だけだと「『日本』とは何か」という問に対する答えとしては中途半端な感じがした。

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2010/08/08

上代文学・上代史の知識が全くない一般人にはややとっつきにくいか。 古事記で卒論を書いた自分でも読みづらかった。

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