広池千九郎の人間学的研究 の商品レビュー
著者は、京都学派の薫陶を受けた哲学者で、フッサールなどの研究をおこない、その後主に教育哲学の分野において業績をのこしています。その一方で、廣池千九郎の提唱する「モラロジー」(道徳科学)に賛同し、その顧問を務めていました。本書は、著者が廣池の生涯と思想について論じた文章や講演などを...
著者は、京都学派の薫陶を受けた哲学者で、フッサールなどの研究をおこない、その後主に教育哲学の分野において業績をのこしています。その一方で、廣池千九郎の提唱する「モラロジー」(道徳科学)に賛同し、その顧問を務めていました。本書は、著者が廣池の生涯と思想について論じた文章や講演などをまとめたものです。 第一部は、著者の「モラロジー」にかんする論文ですが、廣池の評伝と呼ぶにはやや生涯にかんする記述が簡潔にすぎます。むしろ、著者の提唱する人間学の観点から、廣池の思想の意義を解き明かしたものと理解するべきでしょう。ここで著者は、「自我没却」と「神意同化」の原理を中心に廣池の思想を解釈しているのですが、たとえば「こちら側からの「心遣い」と上からのはたらきかけまたはひきよせとは、感応道交の関係にある」とか、あるいは「「低い柔らかな広い心」とは、主我的分霊的な利己的本能の自我を没却して、「天を楽しむ」神意同化の純一無雑な超越的全霊的精神そのものである」といった叙述は、高坂正顕や高山岩男といった京都学派の教育哲学を連想させます。 その一方で、廣池が「宇宙根本唯一の神」を人格神として規定していることについて、彼の提唱する「最高道徳」が人間社会に生まれたものであることからその本体を人格的な神として規定していた点などは、禅の影響が色濃く見られる京都学派の宗教思想と著しい対照をなしているようにも思えます。 第二部・第三部は、著者の講演やエッセイが収められ、さらに第四部にはボルノーやキュンメルといったドイツの教育哲学者たちと著者との交流を示す文章などが収録されています。
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