スガモプリズン の商品レビュー
BC級戦犯が戦後どのような状況に置かれていたのか、そこで何をどのように考えたのか。今まで、自分が全くイメージできていなかったことを痛感した。日本の再軍備が進む中、様々な思惑が交錯しつつ戦犯釈放運動が展開される。戦犯自身も戦犯に向けられるまなざしも様々で、わずか数年の間の状況の変化...
BC級戦犯が戦後どのような状況に置かれていたのか、そこで何をどのように考えたのか。今まで、自分が全くイメージできていなかったことを痛感した。日本の再軍備が進む中、様々な思惑が交錯しつつ戦犯釈放運動が展開される。戦犯自身も戦犯に向けられるまなざしも様々で、わずか数年の間の状況の変化によって、ひとりの人間の中の見方も変わっていく。本書はBC級戦犯に関するコンパクトな概説書である。サブタイトルの「戦犯たちの平和運動」の実際については、本書の中で紹介されている『壁あつき部屋』や『あれから七年』を読む必要があるようだ。
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BC級戦犯のあまりにも多い人数に驚き(死刑だけでも約1千人)です。A級以上にBC級は人道上の犯罪と呼ばれるカテゴリーになるわけで、戦争という異常な環境下での彼らの個人的な良心を問われる局面だったのだと痛感します。その中で戦犯となっていた韓国人日本兵士がいたということも深刻な問題として感じます。彼らが①深い罪の意識を持たずになぜ自分たちは死刑になるのかという不条理な気持ちを持って死んでいった人たち ②逆に死刑にならずに巣鴨刑務所で獄中生活を長年過ごした人たちは深く罪の意識を考え巡らし、恥じ、ノーモア戦争という気持ちを深めていったという違いが非常に興味深いところです。加藤哲太郎(志村郁夫)「貝になりたい」の前段において「昭和天皇は私を助けてくれなかった。私は殺される。死ぬまで従った。もう貸し借りはない」と言い切った無念さが、なぜ自分は戦争に巻き込まれていったのか。自分も犠牲者ではないか、という思いから確かに来ていると思うのです。そして戦犯釈放運動に従事した人たちの戦争犯罪に対する怒りの少なさも現在の日本の戦争責任の認識の薄さにつながっていると思わざるを得ませんでした。
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