脳内現象 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
脳科学の解説、ではなく、脳科学の成果をベースとした立派な哲学の本。 最初はスラスラッと勢いよく読めたんだけど、70p過ぎから議論が本格化して、遅々として進まず…。 キーワードは「ホムンクルス(小人)」と「メタ認知」。人の意識は「メタ認知的ホムンクルス」の機能によって生じるという説で、実感として凄~くしっくりくる。学生時代、どんなに脳を調べても心は説明できないから心は別にある、と唱えた大脳生理学者の本を読んだけど、茂木氏はそのように逃げず、「近代科学」という説明の枠組みを飛び越えつつ、人が現に感じている「クオリア(質感)」とそれを支える脳の神経活動から意識を説明しようと試みる。論理的な整合性とかは途中からチト分からんようになったけど (^^;) 「エ~ッ!?」と思うような、突飛な考えに行かなかったのが素晴らしい労作。 …なので、読んでる途中に議論が振り返れるよう索引が欲しかった ( ;∀;) このシリーズの趣旨には合わないかもしれないけど。
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前著『心を生み出す脳のシステム』(NHKブックス)とおなじく、脳科学の立場から心脳問題を解決するための道をさぐろうとする試みです。 著者は、心脳問題を解き明かすためには、脳のさまざまな部位で生じる機能を見わたし、それらを主観的なクオリアの世界へと統制する〈私〉が説明されなければ...
前著『心を生み出す脳のシステム』(NHKブックス)とおなじく、脳科学の立場から心脳問題を解決するための道をさぐろうとする試みです。 著者は、心脳問題を解き明かすためには、脳のさまざまな部位で生じる機能を見わたし、それらを主観的なクオリアの世界へと統制する〈私〉が説明されなければならないと論じています。これは、哲学においては主に「統覚」という概念で説明されていた事柄に相当すると思われますが、著者は脳のなかにホムンクルスが存在するという、自然科学の世界では否定された考えを現代的なメタ認知機能の研究を手がかりにすることでよみがえらせ、〈私〉の謎にいどんでいます。 もっとも、こうした著者の説明が心脳問題を完全に解き明かしているということはできず、著者自身がしばしば述べるように現代の脳科学は意識の問題に対しては、なお錬金術の段階にとどまっているという印象があります。とくに、なぜメタ認知がクオリアというしかたでおこなわれるのかという重要な問題は、手つかずのままのこされています。とはいうものの、現代の脳科学の成果と心脳問題の概要を一通り眺めることができるという意味では、おもしろく読める本なのではないかと思います。
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知的好奇心そそられまくり。 メタ認知という概念によって、オトナとは何かということがわかった気がした。 世界の認識論という概念も発見。 もう一度じっくり読み返したい一冊。
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初めに『当たり前を疑え』的なことを言われるので、全般的に疑って読んでしまうが、それがまた作戦かも。 こんなややこしいことを、よく限界までわかりやすくしたな、と思う。
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今、現実に見ている世界、感じている世界が自分(私)だけにしか理解できないものなのであり、それが意識というものだといっているのであろうか?ちょっと難しい内容なので、意味を取り違えているかも。脳科学において、意識の問題が解明されると、いずれ他人の意識も完全に理解できるようになってしま...
今、現実に見ている世界、感じている世界が自分(私)だけにしか理解できないものなのであり、それが意識というものだといっているのであろうか?ちょっと難しい内容なので、意味を取り違えているかも。脳科学において、意識の問題が解明されると、いずれ他人の意識も完全に理解できるようになってしまうことになり、すべての人間が同じ意識を持つようになって、それこそ哲学的ゾンビになってしまうことはないのだろうか?とにかく難しかった。
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[ 内容 ] “私”は脳のどこにいるのか?“私”という明確な意識はいかにして成り立つのか? 脳内では千億もの神経細胞が複雑なしくみで結びつき、情報交換をしている。 意識が生じるためには、この複雑な脳内の隅々までを、“私”が一瞬にして見渡さなければならない。 これはいかにして可能な...
[ 内容 ] “私”は脳のどこにいるのか?“私”という明確な意識はいかにして成り立つのか? 脳内では千億もの神経細胞が複雑なしくみで結びつき、情報交換をしている。 意識が生じるためには、この複雑な脳内の隅々までを、“私”が一瞬にして見渡さなければならない。 これはいかにして可能なのか? 脳内を見渡す小さな神の視点、すなわち、「脳内現象としての“私”」が生じる根本原理を解き明かす。 [ 目次 ] 1 小さな神の視点-脳内を見渡す“私”(見渡しの形式としての“私” ホムンクルスを取り戻せ! 意識はいかに成り立つか 能動的に構成される空間) 2 世界に働きかける“私”-主体性のメカニズム(システムを支える「心の時間」 感情とはなにか-不確定性に対処する技術 全てはメタ認知である-心の理論から言語活動まで) 3 ホムンクルスの再構成-認知からメタ認知へ(誰が脳内を見渡しているのか 脳内はいかに見渡されるのか-意識の起源を解く 最後の難問-なぜ私たちはゾンビではないのか 第二のデカルト的転回へ) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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私は必ずしも、世界を受動的に勧照するだけの存在ではない。私は意志を持って、判断し、注意を向け、自らの身体を動かし、世界に働きかける存在でもある。このような能動的に行動していく私の性質は修体制と呼ばれる。自分が自分の行動を与えられた条件の元で自由にけめられるといういわゆる自由意思の...
私は必ずしも、世界を受動的に勧照するだけの存在ではない。私は意志を持って、判断し、注意を向け、自らの身体を動かし、世界に働きかける存在でもある。このような能動的に行動していく私の性質は修体制と呼ばれる。自分が自分の行動を与えられた条件の元で自由にけめられるといういわゆる自由意思の感覚も、主体性の要素のひとつである。
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<私>という意識は、マクロに見れば、神経細胞の活動間の関係性が積み重なった結果、前頭葉を中心とする自我の中枢からの志向的なプロセスと、後頭葉を中心とする感覚的なプロセスの間のマッチングの中に生み出される。(p.223) <私>、意識、メタ認知、志向的クオリア、感覚的クオリア、...
<私>という意識は、マクロに見れば、神経細胞の活動間の関係性が積み重なった結果、前頭葉を中心とする自我の中枢からの志向的なプロセスと、後頭葉を中心とする感覚的なプロセスの間のマッチングの中に生み出される。(p.223) <私>、意識、メタ認知、志向的クオリア、感覚的クオリア、小さな神の視点、ホムンクルス、メタ認知的ホムンクルス…。 何をどうしたら解明できたと言えるかということが見えない。これらの用語は、状態を表しているのかプロセスを表しているのか。というよりも、これらが解明される事柄ではないのか? 単なる用語の言い換えの積み重ねではないのか? 世界にはネットワークとして捉えられるものは他にもあるのに、意識が宿るのがよりによって“脳”であるのはなぜなのか? 何年か前に彼の講義を受けたことがあるが、ある実験デモを示し、たまたま“どのように見えましたか?”と尋ねられたので、“灰色に見えた”と答えたら、僕の“クオリア”は無視されて、その後はその実験研究での回答“黒色”で話が進んでいったことを思い出す。
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学生の時、人工知能研究してた。でも意識の発現なんて考えられなかった。 今でも同じなんですね。 意識って、脳の様なある程度複雑な構造をもったものに、意識は輪廻転生を経て宿るような気がします
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4月11日読了。我々人間の世界に対する関わり方は、触覚・視覚などから脳がいったん受け取った情報を「メタ認知」する、ということに他ならない、という説は言われてみればその通りなのだが、その通り過ぎてショックが大きい。意識を持つ人間、というユニークな存在について考えるため「意識を持たな...
4月11日読了。我々人間の世界に対する関わり方は、触覚・視覚などから脳がいったん受け取った情報を「メタ認知」する、ということに他ならない、という説は言われてみればその通りなのだが、その通り過ぎてショックが大きい。意識を持つ人間、というユニークな存在について考えるため「意識を持たない人間」である哲学的ゾンビという存在を仮定する、という考え方も面白い。茂木氏オリジナルの考えではないようだけどこれが科学的態度だ、ということなのでしょう。脳と言える日本。
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