芭蕉の孤高 蕪村の自在 の商品レビュー
芭蕉の時代は俳句は俳諧と呼ばれていた。連歌の発句であるだけでなく、諧謔の意味も含まれ、漢詩や古典を換骨奪胎した言語遊戯的なものが主流だった。連歌は月や花の句を出す場所が「月花の定座」として定められ、また恋の歌が入らないと、正式な1巻ではなく、はした物!とは知らなかった。それを藝術...
芭蕉の時代は俳句は俳諧と呼ばれていた。連歌の発句であるだけでなく、諧謔の意味も含まれ、漢詩や古典を換骨奪胎した言語遊戯的なものが主流だった。連歌は月や花の句を出す場所が「月花の定座」として定められ、また恋の歌が入らないと、正式な1巻ではなく、はした物!とは知らなかった。それを藝術に高めた芭蕉のストイックな態度。「山路来て何やらゆかしすみれ草」(野ざらし紀行)「閑さや岩にしみ入蝉の声」(奥の細道)は推敲を重ねて到達した境地だったのだ。この浄化されていくような過程が面白い。元禄期の俳諧人の1つの流派に過ぎなかったらしいが、芭蕉の俳句の優れた点は大淀三千風、三井秋風などの句と比較すると今では明確に感じる。蕪村は蕉門の一人に近い位置づけ。書名の割には、影が薄い。彼の辞世の句が紹介されているが色彩感覚に優れた画家・蕪村らしい。「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」
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