ポストモダンの思想的根拠 の商品レビュー
ポストモダン思想における管理社会批判の意義とそれが直面している困難について、わかりやすく解説している本です。 著者は、フーコーとドゥルーズの議論を参照しながら、従来の「統制管理社会」とポストモダンの「自由管理社会」の違いをクリアに論じています。近代の規律社会は、フーコーがベンサ...
ポストモダン思想における管理社会批判の意義とそれが直面している困難について、わかりやすく解説している本です。 著者は、フーコーとドゥルーズの議論を参照しながら、従来の「統制管理社会」とポストモダンの「自由管理社会」の違いをクリアに論じています。近代の規律社会は、フーコーがベンサムのパノプティコンに典型的に見られるとしたものであり、そこでは主体=服従のメカニズムが鮮やかに解明されていました。また、ホルクハイマーとアドルノの『啓蒙の弁証法』や、オーウェルとハクスリーのディストピア小説も、近代的な統制管理社会に対する批判だったと著者はいいます。 ポストモダンにおける自由管理社会はこれとは異なり、生物種としての人間の「生」を差配するものだと著者は主張します。そこでは人びとは自由を否定されず、むしろ「生権力」によるコントロールがポストモダン社会における自由の条件をなしていることが明らかにされます。 さらに著者は、ネオ・リベラリズムがリバタリアニズムの制限を乗り越えて自由管理社会の強化へと乗り出していった経緯や、ラディカル・デモクラシーのリベラル・デモクラシーに対する批判を検討し、自由管理社会の強化に抗うことの困難さを浮き彫りにしていきます。また、ネグりとハートの『〈帝国〉』にも言及し、そこでもやはりフーコーとドゥルーズが直面していた「欲望のパラドクス」すなわち「ひとはなぜ、自分の抑圧を欲望するようになるのか」という困難が解決されないままのこされていると論じられます。 最後に著者は、ヘーゲルやニーチェの哲学をヒントに、隠蔽された管理を顕在化することで自由を拡大していく可能性を見いだそうとしています。
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モダン(規律社会)からポストモダン(自由管理社会)、そしてそれ以降(ポストモダンの第二段階)という思想的な潮流をキレイに整理整頓。今後の見通しがグッとよくなる。 個人のアイデンティティについて、モダン以前は「十人一色」、モダンは「十人十色」、ポストモダンは「一人十色」との喩え...
モダン(規律社会)からポストモダン(自由管理社会)、そしてそれ以降(ポストモダンの第二段階)という思想的な潮流をキレイに整理整頓。今後の見通しがグッとよくなる。 個人のアイデンティティについて、モダン以前は「十人一色」、モダンは「十人十色」、ポストモダンは「一人十色」との喩えは秀逸。
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