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夢判断(上) の商品レビュー

3.8

15件のお客様レビュー

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2009/10/04

上下 日常生活において無意識に抑圧されている欲求と“夢”との関係を分析。解釈の偏りがなきにしもあらず。

Posted byブクログ

2009/10/07

精神医学者としてヒステリーの治療に携わり、精神分析の方法を確立、精神の深層の無意識界に光をあて、人間心理の源をさぐったフロイトの学説は、ひろく人文科学の諸領域、特に二十世紀文学に多大な影響を及ぼした。本書は、日常生活において無意識に抑圧されている欲求と“夢”との関係を分析、実例を...

精神医学者としてヒステリーの治療に携わり、精神分析の方法を確立、精神の深層の無意識界に光をあて、人間心理の源をさぐったフロイトの学説は、ひろく人文科学の諸領域、特に二十世紀文学に多大な影響を及ぼした。本書は、日常生活において無意識に抑圧されている欲求と“夢”との関係を分析、実例を詳査してその解釈により、人間心理を解きあかそうとする名著である。

Posted byブクログ

2010/04/10

フーコーはバディウによるインタビューの中で、精神分析は、すでにそれを読むための鍵を手にしているようなテキストを読み解く<判読>ではなく、そのような鍵そのものをテクストから探さねばならない<解読>に属するのだと言っている。我々はたしかにこのような方法的指針を夢解釈に見て取ることがで...

フーコーはバディウによるインタビューの中で、精神分析は、すでにそれを読むための鍵を手にしているようなテキストを読み解く<判読>ではなく、そのような鍵そのものをテクストから探さねばならない<解読>に属するのだと言っている。我々はたしかにこのような方法的指針を夢解釈に見て取ることができる。本書を読んだ読者は、さまざまなものが性器の象徴として挙げられることに違和感を感じるだろう。しかし一方で、フロイトは類型夢の扱いに絶えず留保を付けており、夢解釈の原理が自由連想に−即ち患者の側に−あることを強調しているのだ。本書に載せられている事例はフロイトによる<解読>の結果なのであって、我々がそれを一般化し単純化することはフロイトの意に必ずしも適うことではない。同時に我々もまたフロイトの書物を<解読>せねばならない。

Posted byブクログ

2009/10/04

思い出しレビュー。 上下巻。大学入学直後に読んだ本。サルバトール・ダリがこの本に触発されて「アンダルシアの犬」を作ったことは有名な話。フロイトの精神分析を知りたければ、これよりもあとに書かれた「精神分析入門」を読むべきだとは思うが・・・。

Posted byブクログ

2009/10/04

 汎性愛主義者pansexualistの異名で知られるフロイト。しかしフロイトの重要性は、なにも、すべての人間行動の根源には無意識へと抑圧された歪んだ性的欲求がある、と主張したことにあるのでは、ない。まあそういうふうに茶化して戯画化するのはまだいいとして(やりたくなるのは分かるよ...

 汎性愛主義者pansexualistの異名で知られるフロイト。しかしフロイトの重要性は、なにも、すべての人間行動の根源には無意識へと抑圧された歪んだ性的欲求がある、と主張したことにあるのでは、ない。まあそういうふうに茶化して戯画化するのはまだいいとして(やりたくなるのは分かるよ)、小説なんかであたかもちょっと勉強したようなふりをして、それをフロイトの主たる主張のようにしたり顔で使うのはやめてほしいもんだ。フロイト面白いですよ、と言うとだいたい「あー、そういう趣味なの」って反応をされるが、不本意です。不本意。  たしかにこの著作『夢分析』で展開されたのも、性愛欲求とダイレクトにかかわる論である。それは否めない。夢の具体的な内容の裏には潜在内容なるものがあって、その内容はつまるところ夢を見た人間の願望充足にかかわる問題で、やはりセクシュアルだったり自分の厭ぁな側面を暴露するもので・・・。しかし重要なのは、潜在内容が何か、ではない。そうではなくて、「夢は歪曲される」---- 欲求の表象なるものはつねに歪曲を経るのだという主張であり、その欲求と表象と象徴との興味深く折れ曲がった関係性の指摘なのではないか。そこに着目したときに敷衍しうるのが、表象は欲望の対象を描こうとして描こうとして、追いかけて追いかけてなおいく度となくそれに失敗する----そのつど何かを取りこぼす、という考え方であるわけで。これを直接フロイトから導き出すのは困難だとしても、そうした欲望と表象の関係性を考える土台を、やはりこの奇人は提供していると思う。  そう、ある芸術家にある芸術作品を作らしめたその根本的性愛欲求を指摘することは、5分程度のスキャンダラスな娯楽を提供するかもしれないが、それ以上の何ものにもなりえない。多くの場合熟考に値するのは、その欲求が作品において、どのような手段をつうじて、創造的に、かつ鮮やかに、さししめされたのかということであろう。加えて言えば、「ある欲求がすべての根源として存在する」という信念は、すでに潰えさってしまったのだ。結局のところ、我々は歪曲された顕在内容そのものから出発するしかないのである。だからもう一度、読み直しましょうよ、フロイト----と自分へ呼びかける夜だったのです。

Posted byブクログ