旧街道を歩く の商品レビュー
今や、歴史とともにうずもれた感のある旧街道。 そこを歩くということは、往年の人々の思いを辿ることにもつながり、ロマンが感じられます。 『月刊・旅の手帖』に掲載されたエッセイ。 著者の名前に驚きましたが、ペンネームだとのことです。 凝った文章ではありませんが、旅行ライターらしく、...
今や、歴史とともにうずもれた感のある旧街道。 そこを歩くということは、往年の人々の思いを辿ることにもつながり、ロマンが感じられます。 『月刊・旅の手帖』に掲載されたエッセイ。 著者の名前に驚きましたが、ペンネームだとのことです。 凝った文章ではありませんが、旅行ライターらしく、実際に旧街道を歩いて体感した肉声が伝わる文となっています。 「西国街道」のくだりでは、明智光秀と豊臣秀吉が戦った天王山のことが紹介されていました。 天王山といったら勝負の分け目を左右するという意味で、非常にアクセス困難な難攻不落の地という印象がありましたが、実際には標高270mの、登りやすい場所だとのこと。 近所の人が山頂まで犬の散歩に行っているそうなので、機会があったら私も登ってみたくなりました。 28歳の時に、1日で28キロほど歩いて脱藩したとされる龍馬。 「龍馬脱藩の道」も著者は歩いていましたが、龍馬の早足には叶わなかったようです。 伝説も加味されていることを考えると、実際速度ははっきりはわからないようなもの。 それにしても、龍馬は連れがいましたが、やはり一人きりで歩くのは気がまぎれず、大変のようです。 長い行程は、誰かと楽しみながら歩くのがいいでしょう。 坂東への入り口に当たる「足柄路」は、東海道として整備されたものの、802年の富士山大噴火により、険しい箱根路へと道筋が変わったということは知りませんでした。 横浜民としては、八王子まで続いた「絹の道」も気になります。 残念ながらもうほとんど往時の名残は残されていないそうですが。 また「いざ、鎌倉」で知られる「鎌倉街道」は、有名な割に、実は遺構が残っていない幻の道となっているということも知りました。 まだ見つかっていない旧街道があるとは驚きです。 そういった謎に残された部分が、ファンをとらえて離さないのだろうと感じました。
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