技術にも自治がある 治水技術の伝統と近代 の商品レビュー
えてしてクリヤーを求めて分裂したがり、自分の城に閉じこもって遠吠えしがちな西洋学問の中で、逆行するかの如く答えを絞らずに漠然としたゆるい秩序を見出す人々が増えてきているらしい。 「我こそが正義」を唱えずに、対立も無視もせずに対等な姿勢で部分と全体を見据えながら変化をいとわず速や...
えてしてクリヤーを求めて分裂したがり、自分の城に閉じこもって遠吠えしがちな西洋学問の中で、逆行するかの如く答えを絞らずに漠然としたゆるい秩序を見出す人々が増えてきているらしい。 「我こそが正義」を唱えずに、対立も無視もせずに対等な姿勢で部分と全体を見据えながら変化をいとわず速やかに進もうとする人々が活動の場に出ている。 補助金制度を介した制作の中で、国に雇われた技術者によって一方的に全国同じ色に塗りつぶされる。多様性の自然界に挑戦する無謀で意味のない無知な行為が、国家的規模で自然破壊を起こし続けているにもかかわらず、チェルノブイリのようにいまだに小さな欲に迷って大きな公害を遠くの他者に押し付けているのが現状である。 更に地域住民の意識と遊離する事業が行政と市民との対立を招いたり、後始末が放棄されたままになったり、利益配分を巡って市民間に対立を植え付けてしまう。 著者は「技術の自治」無くしてこうした対立を解決できないと言う。 近世は自然力を受け流して共存しようとしてきたけれど、近代は技術先行で自然の流れを阻止して操ろうとしている。 自然に対する維持管理ゼロを目指した、共生関係の放棄でもあった。 川の水をあふれさせないように早く流してしまうための三面張りのPCによる護岸対策は、全体性に欠け海岸を無くししまい、生態系を壊してしまうと共に、地下水脈を干からびさせることにもなる。 地域性を持った川からの恵みを一番最初に受けるべきは、その危険をも受ける地域住民であるべきであるのに対して、負担だけ残して利益だけをそっくり工業用水や発電にさらわれてしまう。利益は最後に回され排水などの不利益をまともに押し付ける暴力的国策はリンチであり犯罪でしかない。 生活に根付いた里山や川と共にある地域の暮らしを国の権力が没収して組合組織で管理してしまう。 責任と義務を放棄した非常に野蛮な犯罪的行為と言わざるを得ない。 自分にも舞い戻ってくる自然環境と未来の人々への、無知が故の冒涜でしかないだろう。
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