メディアが市民の敵になる の商品レビュー
一言で言えば、これは報道される側、取材される側の視点に立った、鋭い報道検証である。著者は、新聞・テレビを中心とした現在のメディアは、権力監視の役割を放棄し、権力の広報機関に成り下がり、弱いものイジメに徹し、報道被害、人権侵害を繰り返していると指摘し、非常に厳しく批判している。 ...
一言で言えば、これは報道される側、取材される側の視点に立った、鋭い報道検証である。著者は、新聞・テレビを中心とした現在のメディアは、権力監視の役割を放棄し、権力の広報機関に成り下がり、弱いものイジメに徹し、報道被害、人権侵害を繰り返していると指摘し、非常に厳しく批判している。 松本サリン事件、オウム報道、神戸児童殺傷事件、和歌山毒カレー事件、仙台筋弛緩剤事件など、数々の報道事例をひもとき、「これでもかっ」とばかりに、厳しい指摘、批判が続く。自称人権派が読むと、相当にこたえる。 著書の中で一貫して語られているのは、メディアが「リンチ」(事件報道での被疑者バッシング)に荷担してはいけないという、報道人としては至極当然、しかし現実にはことごとく反故にされている理念だ。そのためには「推定無罪」という法理原則を厳格に適用し、公人を除いて、逮捕段階では実名報道をすべきではない、と著者は繰り返し主張する。 無実にもかかわらず、逮捕段階で実名報道されたために人権を侵害した例が、本書で数多く紹介されている。メディアは、逮捕は大きく扱って実名も出すが、その後処分保留で釈放になっても、無視するか、極めて小さな扱い。しかも、インターネットやデータベースに収録される記事はなかなか訂正されないため、人権侵害が再生産される。メディア側の「逮捕=実名報道主義」を知っているから、逃亡も証拠隠滅の恐れもないのに、実名報道させ「見せしめ」にするために逮捕した例もある(高松市成人式妨害事件)。 本書のもとになったのは、「週刊金曜日」に連載された「人権とメディア」という報道検証記事だ。本書は99~03年の連載分が収録されている。著者は長年、「金曜日」の連載をはじめとした社外執筆を「読売新聞記者」という肩書きで行ってきた。結局は、記者職を剥奪されて会社を去るのだが、社にとって決して耳障りの良くない言論を、堂々と社名を名乗って展開してきたことに、まず敬意を表したい。そして、「新聞記者にも言論の自由はあるべきだ」という著者の主張は、まったく同感である。
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