柳宗民の雑草ノオト(2) の商品レビュー
『雑草学』という学問があるそうで、そこでは、“雑草というのは人の望まないところに生える草をいう”と定義されているそうです。ということは望む,望まないの判断基準は自分であるから、同じ植物が雑草にも草花にもなるということなのだ。 雑草学の権威である稲垣栄洋先生が、「私たちの生活に有...
『雑草学』という学問があるそうで、そこでは、“雑草というのは人の望まないところに生える草をいう”と定義されているそうです。ということは望む,望まないの判断基準は自分であるから、同じ植物が雑草にも草花にもなるということなのだ。 雑草学の権威である稲垣栄洋先生が、「私たちの生活に有益かどうかが一つの判断基準であるが、それでは本当に雑草という分類がなくなってしまいますから、雑草になりやすい性質をもった植物を雑草と分類しており、そのなりやすさを雑草性という」と記している。 一方『雑草という名の草はない』とは昭和天皇のお言葉。 「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。そしてどの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ。」と。 『雑草』とするか、しないかはそれぞれにお委ねすることとして、『雑草という名の草はない』とか『雑魚という名の魚はいない』とか『石ころという名の石はない』とか『雑用という仕事はない』(余談)など色々なところで引用されている。総じてこれらの中に含まれるメッセージは、---この世に名前のないものはない。すべてのものに名があり、名には意味があり、存在がある。すべてのものには意味が与えられ,存在を許されている---と。 そう考えたら、ひとつひとつの存在に違った目を向けられるのではないだろうか。かつて、名を知らなかった雑草の名を知った途端に愛おしさを感じたように。ーそれでも刈る時は刈るのだが(笑)ー この本の内容に全くふれず仕舞だが、この本のおかげで、思わぬ方向へも視野が広げられたことは事実である。
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