ダブル・スタンダードの芸術 の商品レビュー
読んで感じたこと 美に中心なるものがあるのだろうか?と私は思ってしまう 地球には中心がありそうだし臍下丹田にも有るような気がする しかし相対世界という時空間を離れた一体なる無限に中心を求められるだろうか? その点でダブルスタンダードに共感できないでもないが 振り子の戻...
読んで感じたこと 美に中心なるものがあるのだろうか?と私は思ってしまう 地球には中心がありそうだし臍下丹田にも有るような気がする しかし相対世界という時空間を離れた一体なる無限に中心を求められるだろうか? その点でダブルスタンダードに共感できないでもないが 振り子の戻り点や放物線の頂点や回転物のように動いている物の瞬間に 中心を感じることができても確認する術を私は知らない そもそも中心というものが存在しないものだとすれば 中心が喪失することもできないように思える 確かにこの世という有限世界がこのところひどく乱れている しかしそれは強い括りへの反作用でしかなく それはある意味当然のことで限定されている物質世界ですら 絶対的な中心を定めることに無理を感じているのではないだろうか 立体世界には例外なく変化する時間が関わるわけで 物質は常にエントロピーの法則に従って混沌へと向かうはず そこには絶対なる答えなど有ろうはずがなく つまり「形ある物はいつしか壊れうつろう」のが定めなのではないだろうか 個々の吐く品には中心らしき流が有るとしても美は物質ではないし そこに飛び交う出会いに中心を見付け出すことなど無理のようだ 更に無限なる神にちっぽけな中心も基準も存在し得ないと思えるのだけれども それは人間が抱いてしまった不安がつくりだしたもので すがるための偽物にすぎないと 芸術のメタ化=(形に表現した途端に流を止め時空間で限定してしまい 無限的意識との間に矛盾を持ち込んでしまう) つまり「論点の先取りの矛盾」=(問いが成立するには答えをあらかじめ持っていなければならないと言うように現実は逆の流を秘めている) 社会性を取り上げた表現は有限界(相対界)における思想であって 一体における美を意識した表現物ではない ピカソのゲルニカはポスターであって 美を表現しようとした「もの」ではない
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あとがきに「生きる信念のないわれわれをマスコミが操作する社会」と書かれてあるが、マスコミが悪いとかでなく、操作されない自分が求められているはずです。
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