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本居宣長 の商品レビュー

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2019/12/08

本居宣長の歌論や文法研究に検討をくわえ、彼のことばに対する考えがその思想の全体像とどのような関係にあるのかということを解明している本です。 著者はまず、宣長が、心を実体的なものとして考えようとする近世の実情論から距離をとっていたことをたしかめ、つづいて彼が批判する二条派の伝統的...

本居宣長の歌論や文法研究に検討をくわえ、彼のことばに対する考えがその思想の全体像とどのような関係にあるのかということを解明している本です。 著者はまず、宣長が、心を実体的なものとして考えようとする近世の実情論から距離をとっていたことをたしかめ、つづいて彼が批判する二条派の伝統的な歌学との比較をおこなっています。宣長は、歌の「心」はそれを表現する「詞」と密接に結びついていると考えており、形式に堕してしまった二条派の歌学を批判していました。彼がこのような立場をとるようになった背景には、契沖の厳密な古典研究との出会いが影響をあたえています。ただし宣長は、たんなることばへの関心にみちびかれて古典研究の道に参入したのではなく、「詞」を理解することが歌の「心」を理解することに通じているという立場から、彼のことばについての研究が展開されていたことを、著者は指摘します。さらに、このような「心」と「詞」の結びつきは、「もののあはれ」についての考察にも引き継がれていることが明らかにされています。 個々の論点については興味深く読めたところもすくなくなかったのですが、宣長のことばへの関心を「歌の表現の発生論」として解釈するのは、テーマそのものをすこし狭く限定する結果になっているのではないかという疑問がのこります。たとえば本書では、宣長の学問を批判する子安宣邦の議論についての検討がなされています。そこでの著者の解釈は十分に説得的だと感じましたが、その後子安が『本居宣長』(1992年、岩波新書)や『「宣長問題」とは何か』(1995年、青土社)などで宣長の方法論に対する疑義を提出するにいたったことを考慮に入れると、本書における「詞」と「心」の関係を「発生論」とみなす本書の議論は、子安の問題提起に比してやや予定調和的な結論に落とし込んでいるという印象を受けます。

Posted byブクログ