反音楽史 の商品レビュー
再現芸術と言われるクラシック音楽は、譜面に書かれたものを音楽として奏でる演奏家や声楽家が重要だが、昨今の書かれたものを一音たりとも変えてはならないという作曲家優位の行き過ぎた原典重視の風潮が音楽をつまらなくしているということが著者の一番言いたかったことで、その原因を作ったのはドイ...
再現芸術と言われるクラシック音楽は、譜面に書かれたものを音楽として奏でる演奏家や声楽家が重要だが、昨今の書かれたものを一音たりとも変えてはならないという作曲家優位の行き過ぎた原典重視の風潮が音楽をつまらなくしているということが著者の一番言いたかったことで、その原因を作ったのはドイツ人であるという本。 18世紀まではイタリア音楽が人気を博しており、いまのドイツ音楽優位の西洋音楽史は、音楽後進国であったドイツ人(シューマンや、その追随者たち)が、後になって作り上げたものである。シューマンらは、18世紀のドイツ哲学者の影響のもとに、音楽の良し悪しを測る物差しを作りあげてしまったため、音楽に差別が生まれ、作曲家優位の音楽観が生まれてしまったというのが大筋である。 これだけの話なら、新書の文章量で充分だが、本書は色々と横道にそるので、単行本で343ページというなかなかの大書に仕上がっている。 著者の石井氏といえばモーツァルトだが、本書でもモーツァルトに関する記述が(本筋から関係ないことも含め)多くみられるのも特徴だ。 石井氏は文章がうまいので、モーツァルトの詳細エピソードなど、本筋から外れてきていると思いつつも、結構楽しく読める。 日本で普通に音楽史を学んだ人は、異論もあると思うが、世の中に流行っていた音楽から音楽史をとらえてみるという視点もまた重要であり、そういう点では本書は高く評価できる。 クラシック音楽の門外漢や、西洋音楽史の本を読んだことのない人には向かない内容だが、ある程度西洋音楽史が頭に入っている人にお勧めである。
Posted by
どうして音楽室には、バッハ・ヘンデル・ベートーヴェンなどドイツ人のいかめしい顔ばっかが並んでいたんだろう。 どうしてクラッシック音楽のコンサートは、燕尾服を着たつまんなそうな顔した人たちが演奏するのをしゃちこばって聴かなくちゃならないんだろう。 どうしてクラッシック曲は、なに長調...
どうして音楽室には、バッハ・ヘンデル・ベートーヴェンなどドイツ人のいかめしい顔ばっかが並んでいたんだろう。 どうしてクラッシック音楽のコンサートは、燕尾服を着たつまんなそうな顔した人たちが演奏するのをしゃちこばって聴かなくちゃならないんだろう。 どうしてクラッシック曲は、なに長調だのソナタなんとか形式だの、七面倒くさい物指しが多いんだろう。 どうしてクラッシックの演奏会には、今だに18世紀とか19世紀に作られた曲ばっかが並び、しかも「現代曲」は面白くないんだろう。 どうしてクラッシックの評論家は、大時代的な表現で些末な演奏の違いを指摘してふんぞり返っているんだろう。 こんなような「クラッシックの素朴な謎」にかなり明快な答えを与えてくれる本。 18世紀、音楽先進国だったイタリアの歴史を、はるかに遅れた後進コンプレックス国ドイツ(のシューマン辺りから)が、持ち前の法則好きとクソ真面目さで黒塗りし、現在に至るという話である。で、日本(明治以来の権威主義)はそのドイツに続いたと。 まあドイツ音楽そのものをそうこき下ろしたもんでもないっしょと思う一方、クラッシック音楽の命脈は既に尽きかけているんだ、という指摘には大いに同感である。 また、18世紀からのヨーロッパの音楽地図が興味深いし、各音楽家がどういう境遇でなにを考えていたかも、下手な伝記よりも活き活きと伝えてくれる。天才モーツァルトの晩年が悲惨だった理由、ベートーヴェンが「オレの音符は一音たりとも改変するな」と言った理由もよくわかる。 (学生時代に、「ベートーヴェンの音符は四分音符なら四分音符ぶん、書いてある通りきちんと鳴らすべし」と言われたもんだけど、ルーツはそれだったんだな) めっちゃ面白かった。
Posted by
『反音楽史』を読み終えて4日たった。タイトルだけを見ると毒薬のような作用をしそうな本だけれど,ぼくにとってはじわじわ利いてくる漢方薬(もちろん副作用もある)のような本かもしれない。 この本のタイトルは『反音楽史 さらば,ベートーヴェン』。帯には「ドイツ人がでっちあげた虚構をあば...
『反音楽史』を読み終えて4日たった。タイトルだけを見ると毒薬のような作用をしそうな本だけれど,ぼくにとってはじわじわ利いてくる漢方薬(もちろん副作用もある)のような本かもしれない。 この本のタイトルは『反音楽史 さらば,ベートーヴェン』。帯には「ドイツ人がでっちあげた虚構をあばく!」と書かれている。クラシック音楽にそれほど関心がない人の中にはピンとこない人も多いだろう。表紙だけを見て,「トンドモ本かなあ」と読むことを躊躇ってしまう人もいるかもしれない。 けれどそのエキセントリックなタイトルとは裏腹に,本書は内容の濃い一冊になっている。昭和5年に東京で生まれ,おそらく教養主義が色濃い時代に青春を送った著者だからこそ,このようなテーマの本が書けたのではないだろうか。もちろん僕の子供時代も,小学校に「“楽聖”たちの肖像画」は飾られていたけれど,その後の経験のなかで,クラシック音楽に対する考えはだいぶ柔らかいものになっていった(もちろん様々な葛藤はあったけれど・・)。 なぜ,小学校や中学校の音楽室には「“楽聖”たちの肖像画」が飾ってあったのだろう。それ自体も,今から思えば不思議なことだけれど,音楽史を学び始めてビックリしたことは,かれら”楽聖”たちのほとんどはドイツ人だったということだ。 「音楽の父」と呼ばれるJ.S.バッハは1685年,ドイツ中部の都アイゼナハで生まれた。同年,「音楽の母」と呼ばれることもあるヘンデルはドイツ中部のハレで生まれた(後年,ヘンデルはイギリスに帰化しハンデルと呼ばれるようになった)。モーツァルトはかつて「ドイツのローマ」と呼ばれたザルツブルクで生を受け,モーツァルトの生涯に多大な影響を与えた父レオポルドはドイツのアウクスブルクの製本職人の倅だった。まさしく「楽聖」そのもののベートーヴェンはドイツ北部のボンで生まれ,ロマン派の中心人物,シューマンは中部ツヴィッカウで生を受け,ブラームスとメンデルスゾーンはドイツ北部のハンブルクで生まれた・・・。 ”楽聖”たちがドイツ人ばかりだったということは,優れた作曲家がドイツにしかいなかったことを物語るものではない。むしろ,後々になってだれかが「ドイツの作曲家を中心とした音楽の歴史」をでっち上げたのだ。 著者はその犯人の一人,パウル・ベッカーの『西洋音楽史』を引用し,毒々しい突っ込みを入れながら「反音楽史」を描いていく。 著者は本書のなかで,数々の肖像画を地に貶めているが,なかでも一番激しく噛み付いているのが,ロマン派の中心人物であるロベルト・シューマンだ。著者によれば,シューマンが結成した「ダーフィト同盟」がベートーヴェンを中心とするドイツ音楽を祭り上げ,それまで主流だったイタリア音楽を俗物として退ける音楽観を形成したのだという。 本書には,これまでの偏見に満ちた音楽観を補正しようと意気込むあまり, 本書じたいも偏ってしまった感がある。ただ,「反音楽史」という視点は素晴らしく,そこから光を当てることにより,いままで隠されていた歴史が見事に浮かび上がっている。 ただし,クラシック音楽の歴史をまったく知らない人が,本書を入り口として読むのは,初心者が茨だらけの獣道を登っていくようなものなので,あまりお勧めはできない。『現代音楽史』など,現代の音楽史家によるもっとマイルドな語り口の本が数多く出版されていると思う。 最後に・・・ たぶん,この著者はドイツ音楽大好き(だったん)だろうなあ。。
Posted by
- 1