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わたしの赤い自転車 の商品レビュー

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2012/04/15

イタリアの田舎の少女なんてとても素敵なはずなんだけど。 読んでて途中からつまらなくなった。作者のこと好きになれなかったなあ。

Posted byブクログ

2011/10/31

 牧歌的で笑顔いっぱいで、食事はシンプルで美味しくて…そんなイメージのイタリアの田舎、なんとなく憧れませんか? この本は現代を描いたものではありませんが、のどかなイタリアを感じることのできる癒し系の旅本です。著者は現在「テンポマート」(金銭ではなく時間を預託するという発想で、日常...

 牧歌的で笑顔いっぱいで、食事はシンプルで美味しくて…そんなイメージのイタリアの田舎、なんとなく憧れませんか? この本は現代を描いたものではありませんが、のどかなイタリアを感じることのできる癒し系の旅本です。著者は現在「テンポマート」(金銭ではなく時間を預託するという発想で、日常生活をいま一度見直そうという行動)の実現と運営を指導している女性。  1950年代から60年代にかけて、イタリア中西部エミーリア地方の農家に育ったひとりの少女が、成長していく姿を自ら綴ったさわやかな文体。やがて高度成長期の訪れとともに自由を謳歌するようになる著者ですが、一方で古きよきイタリアへの郷愁も感じないではいられないのです。国は違っても、故郷への、また移りゆく時代への思いというのは共通するのかも。イタリアの田舎を、赤い自転車でのんびり回ってみたくなりますね。

Posted byブクログ

2010/10/05

第一次高度経済成長期が訪れるほんの少し前、イタリア・エミーリア地方の農家で育った著者の少女時代の思い出。 三世代といわず、おじ・おば、いとこまでもが一つ屋根の下に暮らす大家族での生活。 一家総出の畑仕事、クリスマスや謝肉祭の料理、春から夏にかけてのダンスの楽しみ、初めての化粧・...

第一次高度経済成長期が訪れるほんの少し前、イタリア・エミーリア地方の農家で育った著者の少女時代の思い出。 三世代といわず、おじ・おば、いとこまでもが一つ屋根の下に暮らす大家族での生活。 一家総出の畑仕事、クリスマスや謝肉祭の料理、春から夏にかけてのダンスの楽しみ、初めての化粧・・・・ 衣服も含めて作れるものは何でも手作りが当たり前の時代の、「少ない物で満足する」「浪費せず、度を越さず」、それでいてお楽しみも忘れない、そんな暮らしぶりが生き生きと語られている。 いくつかの事柄については、現在へと至るまでの長いスパンで捉えて語られており、単なる思い出語りとは、趣を異にしている。 とくに、工業化により農家が解体していく様を描いた章は、胸に迫るものがある。 現在から振り返ってみれば、歓迎すべき変化も、そうでない変化もあるのだけれど、郷愁に浸り失われたものを嘆くのではなく、前を見据えて生きていこうという著者の姿勢、そしてそういう姿勢を育んでくれた自分の子ども時代を、「わたしの自由な世界」として表しているあとがきもまた、心に残るものとなっている。 印象的なエピソードはいくつもあったが、、なにより強烈だったのは、一家の家父長として君臨していたベルトおじいさん。 これがまた、いたいけな幼い孫にまで非情な仕打ちをして恥じることのない程の因業じいさんで。 そんなおじいさんを家父長としてたてつつも、うまく出し抜いて、自分たちのガス抜きも忘れないその子どもたちや嫁たちの、楽天的なところも素敵だ。   Bellezze in Bicicletta by Adele Grisendi

Posted byブクログ

2010/08/05

『サンダルばきの足には逃げ場がない。砂は至る所に侵入してきて、前へ進むのもようやくの思いだ。そのかわり、砂浜を裸足で歩くのは素晴らしい』-『臨海学校で』 一人語りの言葉が、昔を思い、そしていつの間にか、今を思う。語り手の顔が、しわだらけのおばあちゃんのそれから、コンピュータ・グ...

『サンダルばきの足には逃げ場がない。砂は至る所に侵入してきて、前へ進むのもようやくの思いだ。そのかわり、砂浜を裸足で歩くのは素晴らしい』-『臨海学校で』 一人語りの言葉が、昔を思い、そしていつの間にか、今を思う。語り手の顔が、しわだらけのおばあちゃんのそれから、コンピュータ・グラフィクスで滑らかにつないだようにして、活きいきとした少女のそれに変わったかと思えば、また急に黒い厚手の服の中にちんまりと収まる老女のそれに変化する。そんな風に時間軸のあちらとこちらを行き来する思い、それが本書の魅力でなくてなんだろう。 何も特別なことが語られる訳ではない。むしろ、この本の中の言葉を昔語りと聞いてしまえば、それはややもすると冗長にすら響く。それなのに、自分は何かに惹かれている。時代? いや違う。その時代は自分の記憶の帰る場所ではないし、そもそも背景となる風景も自分の原風景という訳ではない。それにも拘わらず、何も共通するもののない中で、いや無いからこそむしろ感じる普遍的な共通項に裏打ちされる郷愁が、自分の脳の中に沸き、何かが訴えかけてくる。落ち着かないような気分になる。 本に求める面白さ、それが誰かの事実や歴史への興味ではなく、訳も分からない内に迫ってくる見知らぬ顔の中に思いがけず見出してしまう、自分の歴史であることに気づく。ああ、自分、そこにいたのか。色でもなく、匂いでもなく、湿度でも気温でもない。正体は分からないけれど、その風景に張り付いている何かが、言葉の中から忍び寄る。高揚した気分になった訳ではないのに、読み終えた後、心臓が不思議と少しドキドキとしていることを発見する、そんな本。

Posted byブクログ