仙がいの書画 の商品レビュー
仙厓(1750~1837)は江戸時代の禅僧である。 名前は何となく知っていたし、絵も見たことはあったが、『かわいい江戸絵画』に収録された絵を見て、あまりの「ゆるさ」にあっけにとられた。 ちょっとまとめて拝見しようと探していたらこの本に行き当たった。 著者、鈴木大拙(貞太郎:18...
仙厓(1750~1837)は江戸時代の禅僧である。 名前は何となく知っていたし、絵も見たことはあったが、『かわいい江戸絵画』に収録された絵を見て、あまりの「ゆるさ」にあっけにとられた。 ちょっとまとめて拝見しようと探していたらこの本に行き当たった。 著者、鈴木大拙(貞太郎:1870~1966)は仏教学者である。僧侶ではなく在家参禅者であり、大拙は東京帝国大学哲学科専科生であった際、鎌倉円覚寺の釈宗演から受けた居士名である。 禅に関する英語の書籍を多く著わし、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。本書も元々は英語で書かれたものであり、訳者がいるのはそのためである。 円覚寺は仙厓の兄弟子にあたる僧が再興した寺であり、大拙も仙厓の逸話や絵に触れる機会があったようである。 本書にはもう一人、陰の役者がいる。出光佐三(1885~1981)。出光興産の創業者である。 仙厓が後半生を過ごした博多に生まれた佐三は、青年期から仙厓の絵に惚れ込み、さほど注目されていない頃からこつこつと蒐集していた。 1956年、カリフォルニア州オークランドの日本文化祭で佐三が所蔵する仙厓の絵も展示されたのをきっかけにして、大拙と佐三の交流が始まった。大拙は佐三の別荘で仙厓の書画の研究に没頭し、執筆に励んだ。本書収録の書画128点は、1点を除き、出光美術館所蔵である。 最後の加筆を前に、大拙は病に倒れ、本作が遺稿となった。 西洋で出版されることを希望した大拙の意志にしたがい、本書は1971年に、英語で出版されている。 大拙は、序論で、禅における笑いについて考察している。禅は「笑の余地を見出す」教義だという。ここで、大拙は哲学者ベルグソンの笑の分析に言及しつつ、仙厓の笑いは、言語や論理の厚い雲を払って「本来の」我が出てくるときに現れる喜悦であると説く。心を解き放ち、実在と直に接し、無限に広がる「我」。それは「あまねく宇宙を渡って広がる」。 禅の修行は苛烈で、ときに凡人には意味不明だ。 仙厓の絵にも何人か、伝説の禅匠が登場する。 常に棒を持ち、「問おうが問うまいがわしの棒で三十打ち」と棒を振り回していたという徳山。仏像を燃やして「舎利(仏の遺骨)を探していたのだ」とうそぶく丹霞。棒で殴りかかってきた師匠に反撃して押し倒した黄檗。 一見、冒涜的でやりたい放題のようでも、矛盾・対立・二元性を見極め、越えていくための手法であるらしい。 悟りを開き、しかし悟りに囚われることのないようそれを手放し、無になり、そしてまた街に出でよ、と説く『十牛図』を思い出させる。 仙厓は「ゆるい」絵ばかり描いているわけではない。収録された絵の中には非常に細密で端正な絵も何点かある。つまりは、技術や画法が備わっている上での「ゆるさ」なのだ。 仏画はもちろん、花鳥画や、風景画もあれば、風俗画のような市井の人々の暮らしもある。 さまざまな対象を描こうとも、根底にあるのはいずれも禅の精神なのだろう。 128の書画を見て、坐禅蛙や布袋の絵、どこかかわいらしい虎の絵がやはり好きだ。 偉くなっても民に慕われ、うるさがりながらも請われると絵を描いていた仙厓は、手の届かないほどその道を究めつつも、親しみやすく慕わしいお坊さんだったのだと思う。 難解なものや不可解なものを内包しつつ、十牛図で最後に布袋となって街へ戻る牧童さながらに、人々に慕われながら、仙厓は88歳の生涯を閉じる。 本書の表紙にもある布袋の絵は、しみじみ、生への大いなる肯定のように思える。
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