マラケシュの声 の商品レビュー
モロッコのマラケシュ旅行のお供に読んだ本。 異邦人としてマラケシュを訪れたカネッティによるエッセイ。 フナ広場やスークは私も訪れたが、カネッティに描かれた少し昔のマラケシュには、そこはかとない寂寥感が感じられる。 駱駝売り、盲人、ユダヤ人、狂った女、逃げたい女。 このような...
モロッコのマラケシュ旅行のお供に読んだ本。 異邦人としてマラケシュを訪れたカネッティによるエッセイ。 フナ広場やスークは私も訪れたが、カネッティに描かれた少し昔のマラケシュには、そこはかとない寂寥感が感じられる。 駱駝売り、盲人、ユダヤ人、狂った女、逃げたい女。 このような世界があるのかと思う一方で、カネッティもやはり海外から来た裕福な一外国人に過ぎないのだと思う描写もあり、世界の断絶を感じられずにはいられなかった。
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『広場の一角に男たちが大ぜい集まって口角あわをとばしていた。かれらのいっていることはわからなかったが、かれらの顔つきから見て、それは世界の大事にかかわるものに違いなかった』-『ミッラ訪問』 元々一人旅をする趣味があったわけではないが、知らない国の知らない街で知らない人々に囲まれ...
『広場の一角に男たちが大ぜい集まって口角あわをとばしていた。かれらのいっていることはわからなかったが、かれらの顔つきから見て、それは世界の大事にかかわるものに違いなかった』-『ミッラ訪問』 元々一人旅をする趣味があったわけではないが、知らない国の知らない街で知らない人々に囲まれて暮らすということを何度もしてきた。その土地に自分がどれだけ慣れたのかは、曲がる角の先に何が待っているか、あの店にはどんな顔が待っているかが分かるようになることで測ることができる。しかし、その街がとれだけ自分を受け入れてくれたかは、いつも見かける顔つきから怪訝な視線を受け取らなくなったとしても一向に知ることが出来ない。その土地の言葉を幾つか覚えて口にしてみても、市場で数字を数えてみても、エトランゼであることからは逃れようがない。 そのことを逆手に取るようにして著者はマラケシュを散策する。ただ見るだけではなく聞いて回る。土地の音、人々の営みの音、そして声。声にどんな意味が込められているかは、言葉を理解しなくとも不思議と伝わってくる。それは自分の経験からも感覚として理解できる。シュクラン、テリマカシ、カモン、ありがとう。カイロのドライバー、イリヤンジャヤのボーイ、サイゴンの物売り。その土地に初めて訪れた時の映像が本の中でフラッシュバックする。 皮相的な異文化との接触と捉えることもできるけれど「悲しき熱帯」でレヴィ=ストロースが吐露しているように その土地に生まれついた者と同じ価値観を得ることなど所詮出来やしない。土地の言葉を使い相手の懐に飛び込んだつもりになったとしても、相手は常に新な距離を置く。永遠に亀に追いつけないアキレスのようにもがいてもそれはどうにもならない。よしんば相手と意思を通じさせることができたとしても、そのことによって異文化に触れることなく培われた筈の手付かずの価値観は損なわれてしまう。そう考えるとエリアス・カネッティがアラビア語もベルベル語も一切学ぼうとせず、見えた通り、聞こえた通りのマラケシュを受け止めようとする態度は潔いとも見えてくる。同質化した社会から離れてみること、それが旅の本質であるならば、この隔絶も間違いなく一つの旅であると思う。
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スペインからブルガリアに逃れてきたユダヤ人一家に生まれ、その後もオーストリア、イギリスと居を移した著者が、モロッコの古都マラケシュを旅した後に書き下ろした断想集。 「わたしはモロッコで過ごした数週間というものアラビア語もベルベル語も敢えて習得しなかった。わたしはなじみのない、...
スペインからブルガリアに逃れてきたユダヤ人一家に生まれ、その後もオーストリア、イギリスと居を移した著者が、モロッコの古都マラケシュを旅した後に書き下ろした断想集。 「わたしはモロッコで過ごした数週間というものアラビア語もベルベル語も敢えて習得しなかった。わたしはなじみのない、さまざまな叫び声の迫力をいささかも減じたくなかった」と書く著者は、盲人たちが日に一万回神の名を繰り返すことを、「神をめぐっての聴覚上のアラベスク」と感じ、「視覚上のアラベスクよりどれほど感銘深いかわからない」と記す。 いくつもの言語を操り、文学者・思想家として傑出した才能を発揮したノーベル賞作家が、音(声)による”洗礼”という、「体験されたことの特別な意味に固執する」、詩(私)的なモノローグ。
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紀行文学といわれるジャンルを初めて読んだ。 特筆すべきは作品中に多く見られる「サウンドスケープ」の描写。 悲痛ならくだの叫びが、子どもたちの声が、甘い囁きが、あなたの耳に聞こえないだろうか。 また、カネッティは芳しい匂いを表現することにも余念が無い。 情景だけにとどまらない丹念な...
紀行文学といわれるジャンルを初めて読んだ。 特筆すべきは作品中に多く見られる「サウンドスケープ」の描写。 悲痛ならくだの叫びが、子どもたちの声が、甘い囁きが、あなたの耳に聞こえないだろうか。 また、カネッティは芳しい匂いを表現することにも余念が無い。 情景だけにとどまらない丹念な描写が、立体的なマラケシュの風景を私たちの頭の中に形づくる。
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