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ナボコフ・ウィルソン往復書簡集 1940-1971 の商品レビュー

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2013/03/09

あの『ロリータ』の作者として有名なウラジーミル・ナボコフと、『アクセルの城』や『フィンランド駅へ』の作者エドマンド・ウィルソンの間に、二十年余に渉る文通が続けられていたとは不勉強にして知らなかった。しかし、読んでいくと分かるのだが、二人には共通する部分があった。ウィルソンの書いた...

あの『ロリータ』の作者として有名なウラジーミル・ナボコフと、『アクセルの城』や『フィンランド駅へ』の作者エドマンド・ウィルソンの間に、二十年余に渉る文通が続けられていたとは不勉強にして知らなかった。しかし、読んでいくと分かるのだが、二人には共通する部分があった。ウィルソンの書いた小説『ヘカテ郡回想録』はその表現から裁判沙汰を起こしているし、『ロリータ』は発表当時、アメリカでは発禁処分を食らい、フランスで出版される難産の憂き目にあっている。 サンクト・ペテルブルグの名門貴族の家に生まれたナボコフ、高名な弁護士の父を持つウィルソンと、ともに上流階級に属し、フランス文学を愛し、ジョイスやプルーストを認めるモダニストでもあった。二人の結びつきはアメリカの出版界に伝手を持たないナボコフからの手紙で始まるが、その才能を認め助言や援助を惜しまないウィルソンのおかげで、ナボコフは徐々にアメリカで受け入れられるようになる。 「会いたい」「もっと手紙がほしい」と、まるで恋人同士のような熱い友情を感じさせる手紙のやりとり、家族ぐるみの交際を感じさせる妻や子どもの話題と、それだけなら単なる文学者同士の友情の記念碑となるはずの往復書簡集だが、二人の間には長年にわたる論争対立があったとしたらどうだろう。上記のような熱い交誼を感じさせる文面に続いて、突如長文の批評的な文章が現れる面妖さははなはだもって不可思議としかいいようがない。 論戦の話題は主にロシア詩とイギリス詩の音韻問題とプーシキン問題である。亡命ロシア人であるナボコフがウィルソンにロシア語を教え、ウィルソンがナボコフの英語に添削をするという理想的な関係だったはずが、二つの異なる言語の間に横たわる溝につまづいて不毛(に見える)な論争がとまらない。しかし、二人が不和になる原因はもっと別のところにあった。 広汎な作品を享受し、他の人にもそれを勧めたいと考える評論家ウィルソンと愛読かさもなければ蔑視という極端な態度を見せるナボコフ。二人の文学観や思想的傾向の隔たりはかなり大きい。ナボコフは世評というものを信じない。自分の審美眼だけがたよりだ。マルローを切って捨てるのはいいとしても、ドストエフスキーやフォークナーまでばっさり。それでいてイギリス文学の代表にスティブンスンを加えるというのだから、ううんと呻ってしまった。 編集者を紹介したり、出版社を斡旋したりしてナボコフを援助しながら、批評の場ではその著書に辛辣な批評を加えるウィルソン。互いの友情を認めながらも、それに対して激しく反論するナボコフ。二人の友情は文学的対立の背後に押しやられてしまうのだった。すべてを読み終えた後、編集者による解説や、序文を読み、もう一度書簡を読み直すと、論争に関してはウィルソンの分が悪い。 当時のアメリカにおける社会主義シンパサイザーの例に漏れず、ウィルソンもまたレーニンやボルシェビキ寄りの資料をもとにロシア革命をとらえている。現在ではその後のソヴィエトの実情も明らかになり、その体制がいかに抑圧的なものであったかは明らかにされているが、当時ソヴィエト・ロシアは知識人階級の理想であった。そのレーニンに対して批判的なナボコフをウィルソンは革命によって地位や財産を奪われた貴族階級と捉える誤りを犯している。 ナボコフにとってスターリニズムはヒトラーのナチズムと変わりのないものであり、レーニンも多くの民を抹殺したテロの首謀者である。革命以前のロシアをツァーの圧政に苦しめられる農奴の国としてしか見ない西欧の無知が、レーニンやトロッキーを英雄視するイデオロギーを蔓延させた。革命前のロシア議会の方が言論や思想の自由があったというナボコフの主張は傾聴に値する。 同じ時代に生きながらも、二人の文学者はちがう位相に位置していたようだ。どちらかと言えばウィルソンはナボコフ以前の世界を代表し、ナボコフはまた彼の後に来る世代を予告している。人間的には友情を感じながら、その文学的理念の隔たりはそれを上回っていたのだろう。往復書簡の出版が決まった時、ウィルソンは他界していた。彼の妻に出版の許しを請うたナボコフは初期の書簡を読む苦しさを伝えたという。因果なものだ、と部外者は思う。ナボコフの愛した蝶についての言及と自筆のイラストが書簡集に花を添える。ナボコフファンはもちろん、エドマンド・ウィルソンの読者にも是非お薦めしたい一冊である。

Posted byブクログ