バレンボイム/サイード 音楽と社会 の商品レビュー
今のイスラエルとガザの戦争で言及された本として紹介された。イスラエルはバレンボエムが、ガザはパレスチナでのサイードとしてである。ただ、その対立がわかりにくい。 実例としてイスラエルでバレンボエムがワーグナーを演奏したことの問題点が指摘されている。日本の例では、中国や韓国で君が代...
今のイスラエルとガザの戦争で言及された本として紹介された。イスラエルはバレンボエムが、ガザはパレスチナでのサイードとしてである。ただ、その対立がわかりにくい。 実例としてイスラエルでバレンボエムがワーグナーを演奏したことの問題点が指摘されている。日本の例では、中国や韓国で君が代を演奏した場合の問題点であろう。 音楽に国境はなしということが、いかにいいかげんなことであるかがよくわかる。
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※このレビューにはネタバレを含みます
バレンボイムはユダヤ系ロシア人の指揮者で、イスラエルでワーグナーを指揮し、話題に(糾弾)。 サイードはパレスチナ出身。この2人は友達という。 後半は、ワーグナーについて語る。結局は、どんな芸術でも受け入れる柔軟さが必要ということか。
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クラシック音楽が好きなので、たまに聴きに行くわけですが、同時に、これからもこういうものが、より多くの人が、気軽に楽しめる形で残ってほしい、と思っています。 多様な音楽やエンターテイメントが存在するなかで、なぜ、わざわざ18-19世紀の古めかしい音楽か。 正月のウィーン...
クラシック音楽が好きなので、たまに聴きに行くわけですが、同時に、これからもこういうものが、より多くの人が、気軽に楽しめる形で残ってほしい、と思っています。 多様な音楽やエンターテイメントが存在するなかで、なぜ、わざわざ18-19世紀の古めかしい音楽か。 正月のウィーンフィル ニューイヤーコンサートの指揮をしたダニエル・バレンボイムは、音楽が、信仰、自由への欲求、体制への反抗といった、かつての役割と分断された今、その力は「人間のいちばん奥底にある思考や感情の内面的プロセスとの相似」にあると言います。 人間はどのように自分自身と付き合うのだろう。実存の問題とどう付き合うのだろう。 社会における自分の位置という問題に、どう付き合うのだろう。自分自身をどう見るのだろう。 不安や苦悶にどのように対処するのか。喜びには、どう対処するのか。(中略) そこには相似(パラレル)が、それこそ何百となく存在する。 誰もが内面生活において経験するプロセスの相似物だ。 良い演奏は、なんとなく風景やシチュエーションが目にうかび、自分を重ね、また頑張ろうという気持ちになったり、こんなものが聴けてよかったと思ったりする。 そういう意味で「音楽は人生の学校として最良のものであり、同時にまたそこから逃避するためのもっとも有効な手段にもなる」と。 とはいえ、この学校は義務教育ではないので、選ばれ、残っていくためには、もう少し親しみやすい内容や形で、買い求めやすいお値段で、相手に伝わるプロモーションをして、提示していくことが必要でしょう。 20世紀以降の、難解で「理解し、吸収するにはずっと多くの努力が必要」な現代音楽は、素人には、居心地が悪いだけで、誰のために何を目指しているのか良くわからない。 音楽をやる方にはぜひ、そういう方向ではなくて、多くの人に伝わり、影響を与えられる方向へ、創造の力を向けてほしい。 この本は、イスラエル国籍を持つ、ユダヤ人指揮者バレンボイムと、エルサレムに生まれた、パレスチナ人批評家サイードの対談集。 二人は、戦乱状況にある故国の学生音楽家を集めたワークショップでオーケストラを編成し、99年には、あの「のだめ」でR'sオーケストラが演奏したベートーベン交響曲第7番(べとしち)のドラマティックな演奏を行っている。 「紛争がいつの日か解消されるのであるとすれば、それは争っているもの同士が互いの接触を通じて問題を解決していくことによってしかありえない」 ここでもまた、互いを知るという面では学校であり、同時にある面では逃避でしかない音楽。 依然かの地の平和への道のりが険しいのも、また現実である。
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サイードさんの本を読んでいた頃、装丁を見かけて即買いしてしまった。音楽と社会の関係は分からなかったけれど、音楽が人を自由にしうる、という琴線に触れることはできた気もします。 バレンボイム/サイードの二人に対するインタビューという形式で、物足りない気がするのは、残念ながらインタビュ...
サイードさんの本を読んでいた頃、装丁を見かけて即買いしてしまった。音楽と社会の関係は分からなかったけれど、音楽が人を自由にしうる、という琴線に触れることはできた気もします。 バレンボイム/サイードの二人に対するインタビューという形式で、物足りない気がするのは、残念ながらインタビュアーの(相対的な)力量なのかも。
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沈黙から沈黙へ。 それぞれ祖国に定住せず育った来歴を持つ、パレスチナ人とユダヤ人の著者ら。 彼らの間にはイスラエルの地に関わる大きな問題が横たわっているが、彼らはそのために憎む事はせず、音楽を通じてお互いを尊重している。 音楽家のバレンボイムと文学者のサイードは似て非なる立場で...
沈黙から沈黙へ。 それぞれ祖国に定住せず育った来歴を持つ、パレスチナ人とユダヤ人の著者ら。 彼らの間にはイスラエルの地に関わる大きな問題が横たわっているが、彼らはそのために憎む事はせず、音楽を通じてお互いを尊重している。 音楽家のバレンボイムと文学者のサイードは似て非なる立場であり、その立ち位置を象徴する言葉が本書の原題である「Parallels and Paradoxes」(相似と相反)だ。 似ているから分かりあえる、違うから興味深い。 その感覚をお互いが持ち、且つ相手もそれを持っているという信頼関係があるように思う。 二人の会話を読んでいると、言葉で人は分かりあえること、音楽は言語を超える存在であることを強く思う。 おそらく異文化でも心に訴える音楽はあるし、人類共通の最高の音楽というものもあるだろう。 現在はオーケストラが至上のように思われているが、それはその形態が時間と文化の中で洗練されたものであるからだと思う。 例えば、和楽であってもそれをもっと身近な存在にし、競争と評価にさらすことで、さらに普遍的な存在になり得ると思う。それはアジア、アフリカ等の地域音楽としてイロモノとして見られている楽器にも言えるのではないかと思う。 元来、音楽は移り行くもので、楽譜があれど表現は千差万別。 一度として同じものはない。 二人の遍歴のようでもあり、人の一生のようでもある。 アイデンティティとは、ひとところの塊ではなく、流れ続ける潮流のようである。
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ユダヤ人とワーグナーの音楽の関係が、痛いほどよくわかる。 少しづつ、色々な壁を崩していこうという活動に頭が下がる。 音楽で壁を作ってはならない。
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【library222所蔵】 世界的なピアニスト・指揮者のバレンボイム(イスラエル国籍)と、パレスチナについて真摯に語り続けるサイードとが出会う。パレスチナとイスラエルの音楽家を招いたワークショップの話、土地の問題化、音楽と社会を語る。 音楽を愛し、芸術を愛し、生活を愛し...
【library222所蔵】 世界的なピアニスト・指揮者のバレンボイム(イスラエル国籍)と、パレスチナについて真摯に語り続けるサイードとが出会う。パレスチナとイスラエルの音楽家を招いたワークショップの話、土地の問題化、音楽と社会を語る。 音楽を愛し、芸術を愛し、生活を愛し、人を愛し、社会を愛する現代人必読の本。
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いろいろな示唆に富んだ面白い本だった。特に心に残ったのは、?テクストの話。楽譜を一つのテクストとして、文学を読むように読む、というのは面白い発想だと思った。「モーツァルトの楽譜を読むのにドイツ語は必要ない」 ?音、テンポの話。音楽は沈黙に対する闘いである、という指摘。また、楽譜の...
いろいろな示唆に富んだ面白い本だった。特に心に残ったのは、?テクストの話。楽譜を一つのテクストとして、文学を読むように読む、というのは面白い発想だと思った。「モーツァルトの楽譜を読むのにドイツ語は必要ない」 ?音、テンポの話。音楽は沈黙に対する闘いである、という指摘。また、楽譜の中の様々な記号(指示)は、すべて相対的なものであって、絶対的な命令ではない。特に、テンポに関しては、内容の盛り上がりによって聴衆にわからない程度に速くなったり遅くなったりし、緩慢になってはいけないなど。ちょっと恋愛とか生き方にも関わる指摘かな、と思う。 ?協力の話。オーケストラは民主的な社会のモデルになる、という指摘は面白い。同じ表現を達成するために努力した二人が、同じ音にたどり着いたとき、憎しみや無理解を超えられる、と。
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2006年。音楽と社会について語る上質な対話集。「サイード:過去とのパトス(中略)……歴史にはなにか無慈悲なところがあって、それが人間の経験に奥ふかく埋め込まれているように思う。一定のものごとは取り返しがつかないと思う。それは過去のものだから。p.246」
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バレンボイムとパレスチナ人哲学者サイードの対話 それぞれが背負った使命においての 解決できぬ中東和平への思いを込めた読み応えのある本である クラシックファンでなくとも読むべきです
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