ザッヘル=マゾッホの世界 の商品レビュー
「マゾヒズム」の語源…
「マゾヒズム」の語源となった作家・ザッヘル=マゾッホの作品世界を紹介。マゾヒズムとは、サディズムの対義語ではありません。
文庫OFF
伝記としては読みにくい。 マゾッホというより、自伝を遺した彼の奥さんが主役っぽい。 彼女の人生…面白いです。 『サド侯爵夫人』みたく戯曲化して欲しい。
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遠くボヘミアとスペインの血を引くオーストリア的家系に生まれた早熟な才人レオポルト•フォン•ザッヘル=マゾッホの生涯を多くの文献を渉猟し詳細な時代背景とともに描いている。著者はマゾッホのある種の趣味、心的傾向を、マゾヒズムという病的倒錯として一面化することで社会人としてのマゾッホと...
遠くボヘミアとスペインの血を引くオーストリア的家系に生まれた早熟な才人レオポルト•フォン•ザッヘル=マゾッホの生涯を多くの文献を渉猟し詳細な時代背景とともに描いている。著者はマゾッホのある種の趣味、心的傾向を、マゾヒズムという病的倒錯として一面化することで社会人としてのマゾッホと、その文学的成果が葬り去られたことに対し異を唱えており、「ドナウの西側では“変質的”であり“倒錯”であるような性行動も、ドナウの東側では通常のあり方として堂々と罷り通っており、(東スラブの異端諸宗派は、宗教的神秘主義的マゾヒズムのもっとも極端な形を代表していた)」「未決のものは未決であるがゆえに、排他的に変態もしくは病気として定義されるのであろうか。クラフト=エビングの独善的なドイツ的心理類型学はドナウ河の西でしか通用しない狭隘な諸前提の上に成立しており、今日の文化人類学者なら確実にこれを方法として継受する代りに、研究対象として取り上げるだろう」と批判している。 著者はマゾッホ的マゾヒズムについて、「官能の愛でもなければ精神の愛そのものでもなかった。“毛皮を着たヴィーナス”のゼヴェリーンが告白しているように「超官能的な愛」こそが問題だった。精神なき美しい木偶ファニー•ピストールも、精神の骨格のみがさむざむと剥き出しになった無骨なライツェンシュタイン夫人も、ともに超官能的な愛の理想像ではなかった。しからば超官能的な愛とは何か。一口に言えば、官能の受動性を通じて精神の能動性を発顕させるという逆説だろう」と述べている。 こうした著者の中心的主張に基づき、マゾッホの一生とマゾヒストたる所以、理想が、個人的な体験(たくましいルテニア農民の乳母、ガリチアの虐殺を目の当たりにしたこと、妹の死、アマチュア社会主義者としての理想と現実、農民的=小ロシア的文化圏からの住み替え、青年以降の多くの女性経験など)と、19世紀半ば国民国家として再編が進む欧州諸国の複雑な情勢や文化的伝統、時代そのものがマゾヒスト的な「宙吊り」、ある意味楽観的な放置の状態であったという観察などとともに再構成されており、なかなか説得力のある面白い本だった。
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サドよりも、その人自身については知られていないかもしれない、レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ。彼の伝記に沿いつつ、作家をとりまく様々な人物・事柄を記した1冊(ほとんど研究書?)。安易に「サド」とか「マゾ」とか口にしているが(ナボコフの「ロリータ」なんかも)、こういうものもち...
サドよりも、その人自身については知られていないかもしれない、レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ。彼の伝記に沿いつつ、作家をとりまく様々な人物・事柄を記した1冊(ほとんど研究書?)。安易に「サド」とか「マゾ」とか口にしているが(ナボコフの「ロリータ」なんかも)、こういうものもちゃんと傍らに携えておきたいな、と思って。ところで本書の最終章に「クラフト=エビング博士」のことが出てきますが、クラフト・エヴィング商會ご贔屓の皆さま、ご存じでしたか?この博士こそ、「マゾヒズム」の造語を発案した人だったのですよー(クラフト・エヴィング商會の作ったものには、ほんとにあちこちに洒落や仕掛けが潜んでいる、見逃してるのもたくさんあるはず!)。「研究書」などと言いましたが、面白い「読みもの」です。これらが史実だということがまたすごい。巻末「マゾッホ文献について」も、すごい。
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