他者の受容 の商品レビュー
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ある事物が善悪という概念によって分かたれるとき、善の側に属するものが社会の成員によって社会的に妥当と判定される。「道徳的なるもの」は、こうした基準が間主観的に働くことによって設定される。 それでは、何が善悪を隔てる基準となりえるのだろうか。本書の著者であるユルゲン・ハーバーマスによれば、こうした基準は、人々が「価値がある」とか「信頼すべき」と見なしているものから見出される。そして、人々がそのように見なしているものは、人々の主観的な欲求などを超えて、人々を拘束する力を持っているという点で、単なる選り好みとは異なっているのだという(10ページ)。 文化的・社会的コンテクストにより善悪基準は異なるものとなり、また、歴史的状況や、異質なるものが社会の中へ流入することによっても善悪基準は変化しうる。だが、いずれにしても、こうした「道徳的なるもの」と見なされる事物は、社会の成員間に(程度の差はあるかもしれないが)何らかの拘束力を発揮するのである。 では、こうした拘束力は何に由来するものなのだろうか。ハーバーマスの道徳に関する議論は、「道徳的なるもの」の拘束力がどうした概念によって産出され、維持されるのかは抽象的かつ曖昧な形で述べられるに留まっているように思われる(私の読みが甘いのかもしれないが、読んだ限りではそう感じられた)。 ところで、道徳性とは「善」を基準として見出されるものであるが、一方で正義は、社会の成員間における「正しさ」を基準として見出される抽象的概念である。また、正義(justice)は、ある事物を正当化する(justify)ことによって、強制力を得ることが可能となる。正当化とは、ある事物を、社会の成員間における「一般性」や「共通善」へと惹きつけることによって判断し、その判断を他者へ強制しようとすることである。他者の受容を考察するためには、こうした「強制」のプロセスがどのように行われるのかを観察する必要があるように思われる。 イマヌエル・カントの「永遠平和」が、あらゆる人々の相互理解を求める理念として捉えられるのであれば、他者の受容という考えは非常に重要さを帯びてくる。しかし、そのためにはまだ多くの具体的事例の蓄積と、ある社会に属する人々がいかに他者を受容する(しない)のか、ということに関してさらなる分析が必要であろう。そうした議論の端緒として、この本は非常に意義のあるものだと私は思う。
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[ 内容 ] 多元化・リスク共同体化する世界で、他者を受容し、差異とともに生きる論理はいかにして可能か。 [ 目次 ] 第1部 道徳的義務の権威はどのように理性的なのか 第2部 政治的リベラリズム―ジョン・ロールズとの論争 第3部 国民国家に未来はあるか 第4部 人権―グローバ...
[ 内容 ] 多元化・リスク共同体化する世界で、他者を受容し、差異とともに生きる論理はいかにして可能か。 [ 目次 ] 第1部 道徳的義務の権威はどのように理性的なのか 第2部 政治的リベラリズム―ジョン・ロールズとの論争 第3部 国民国家に未来はあるか 第4部 人権―グローバルレベルと国内レベル 第5部 「協議主義的政治」とはどのようなものか 『事実性と妥当性』への付論― カードーゾ・ロー・スクールにおけるシンポジウムでの論評への答弁 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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