ヴィゴーツキー心理学完全読本 の商品レビュー
ZPDの資料を作る必要があったので、分かりやすい書籍をと思って手に取ったが、内言を中心に解説されており、むしろそちらに引き込まれ夢中になって読んでしまった。さらっと学んでいただけのヴィゴツキーが、こんなにも面白く奥深く人間の知的発達を観察した人であることを知らなかった。 息子が...
ZPDの資料を作る必要があったので、分かりやすい書籍をと思って手に取ったが、内言を中心に解説されており、むしろそちらに引き込まれ夢中になって読んでしまった。さらっと学んでいただけのヴィゴツキーが、こんなにも面白く奥深く人間の知的発達を観察した人であることを知らなかった。 息子が小さかった頃と重ね合わせながら読んだ。子供は面白くて、2,3歳までの頃は、頭に浮かんだ言葉が、まさに頭に浮かんだと同時に口に出る。これがヴィゴツキーのいうところの外言であろう。特に男の子はある程度言葉が達者になるまでその傾向が続くように思う。体の大きな人を見て「くまちゃん!」という。楽しい時に「かっきー(?)」という彼なりの音を口に出す。踊り手を叩く。見たままの世界をすべて言葉にして表現する。私は大人として面白がりながらそれに答える。子どもは母である私の反応を見て、言葉を自分の中に興味深く取り込んでいく。その様子を見る母は息子が可愛くて仕方がない。子育てはそんな毎日だった。 3,4歳の頃だったろうか。考えてから話す、自分の中で言葉を繰って思考して、伝わるように話すようになった息子に気づく。「違うよ、お母さん、くまちゃんはくまっちゃん。人は人だよ」なんて言う。母はなんだか寂しい気持ちになったのだが、この時、おそらく、ヴィゴツキーのいうところの内言が息子の中に育まれていったのだ。内言とは思考が育ち、彼の中に言葉が人格として備わったということなのだ。子育てとはこういう人間の奇跡の営みの中を過ごしていたのだと、本書で振り返りようやく知るにいたり、懐かしく、少し切ない気持ちになった。
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ヴィゴツキー理論の中でも、最近接発達の領域と内言の概念のみを顧みることで 彼の理論全体の本質的な内容を明確にしようという意図で書かれた本。 最近接発達の領域とは、成熟しつつある知的発達可能性の領域を指すそうで ここでの発達とは、「学校」教育における知識の教授による科学的概念の発...
ヴィゴツキー理論の中でも、最近接発達の領域と内言の概念のみを顧みることで 彼の理論全体の本質的な内容を明確にしようという意図で書かれた本。 最近接発達の領域とは、成熟しつつある知的発達可能性の領域を指すそうで ここでの発達とは、「学校」教育における知識の教授による科学的概念の発達を指す。 科学的概念は体系的なものなので、共通の関係性で一般化・階層化された構造を持つから それを使用するとき言葉の意味は常に自覚され、使用は随意的になる。 この自覚性と随意性が、ここの心理過程を自覚し随意的に支配することにつながるため 今までの体系を持たない生活概念に支えられていた心理機能を より高次のものに発達させることになる。 つまり科学的概念の発達が、高次の心理機能に共通の自覚性と随意性を支えているのだ。 このように、学校教育における知識の教授が心理機能をより高次のものにするというところに ヴィゴツキー理論のユニークさがあると筆者は述べる。 言葉の意味が常に自覚され随意的であるというところから 思考、すなわち内言のはたらきについての考察が後半では展開される。 内言による思考は言語的思考だが、そこにおける言葉の意味は、対象の間に存在する 単一の本質的な特徴の抽出に基づいて結合されている。 こうした対象の体系的な概念による思考(概念的思考)がすべての心理機能を再編成する。 前半で見たように概念的思考は体系的であるため、心理過程そのものに自覚性と随意性をもたらし、より高次のものにする。 この概念的思考が獲得されるのが思春期であるため、この時期の子どもは自己の内面過程を自覚し 自己意識を分化させ、他者理解を深めるようになるという。 また、内言における言葉の意味は、文脈から知的および感情的な内容をとりいれるため 無尽蔵で、言葉本来の意義を超える。 つまり、内言の語の意味は個人の世界の知的理解による、情動的態度に構成されるのだ。 そのため、個人の意識の独自性や豊かさは内言の意味のそれと同値となる。 そういう意味で内言論は人格論であると筆者は述べる。 非常に薄いし分かりやすい本だけれど、読み進めるのにはかなり時間がかかった。 ヴィゴツキーの理論に関する知識を手に入れる必要に駆られて読んだだけだから 面白かったけれど、再読しようとは思わないかな。
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