現代随想集 青い兎 の商品レビュー
文人などという呼び名は現代にあっては死語と化しつつあるのかもしれない。閑雅で、憂き世にいながら浮世離れした存在。芸術を生活の一部として、常住坐臥、芸術の中で起き伏ししている。杉本秀太郎には、そんな文人の名こそ相応しい。京都では、秀吉が築いた「お土居」の内側を洛中、その外側を洛外と...
文人などという呼び名は現代にあっては死語と化しつつあるのかもしれない。閑雅で、憂き世にいながら浮世離れした存在。芸術を生活の一部として、常住坐臥、芸術の中で起き伏ししている。杉本秀太郎には、そんな文人の名こそ相応しい。京都では、秀吉が築いた「お土居」の内側を洛中、その外側を洛外と呼ぶ慣わしだが、その洛中の商家に生まれ、京都大学に進み、フランス文学者として、バルザックやアナトール・フランスの翻訳者としても知られる。その該博な知識は、単なる知識にとどまらず、著者の血となり肉となっている。 たとえば、ゴーガンの「乾草」を論じた一章などは、凡百の美術評論家も頬被りして逃げ出しそうな清新な発想に充ち満ちている。一般に『乾草』という題名がつけられていることから、人は誰しも、乾草を描いた絵だと思いがちだが、著者の眼はちがうものを見る。「鯨」。著者がそこに見たのは浜辺に打ち上げられた巨大鯨の姿であった。しかも、連想は次々に発展し、北斎漫画から、最後は釈迦涅槃図に及ぶ。 杉本秀太郎の面白さは、この連想作用にある。絵の中に隠された別の絵を発見したり、マラルメの詩を暗唱した挙げ句、その一句が呼び起こす旋律を五線譜に書き起こしたりする。フランス印象主義絵画から、漢詩に至るまで、文学、音楽、美術と、教養に裏打ちされた視線は、ボードレールがコレスポンダンス(照応)と呼んだ、あらゆる芸術を横断する線を見つけ、それを追う。 昆虫に造詣深く、樹木を愛し、浅井忠の水彩画を好む著者に、生臭い政治の話は似合わないと思っていた。が、意外なことに9.11以来、「顔にかかった蜘蛛の巣のようにまといついて離れない憂鬱に悩まされて」いたという。「小さな風穴を穿つのに短小な錐を揉む」ようにして書かれたものがこの集の大半をしめる、とあとがきに書いている。夢の中で日本の代表となり、ブッシュに「わたくしはあんたのドレイではない。報復戦争には断じて協力しないから、よく覚えておき給えと言いつつ涙をながしてい」る杉本秀太郎という図はなかなか想像するのが難しい。「現首相の台詞と仕種を大根の道化と思ってながめるのは、せめてもの気晴らし」とまで書く。 著者が今もそこに暮らす京都はもともと、権力者の都合で何度も焼かれ、散々な目に遭ってきた土地である。戦乱や権力者の横暴を憎む気風は強い。フランスの旧跡「ヴォ・ル・ヴィコント」にふれた一編でこう書いている。「城館あるいは宮殿に魅惑を覚えたことは一度もなかった。壮麗華美のすぐ裏には、領地の継承権を争う陰惨なドラマという代償、最大多数の人々の惨苦という代償が透けて見えた。そして今はあるじとして住む人のないむなしい建造物の冷やかさ」が感じられた」と。「町衆」の気概というものか。プチ・ブルにもなれない庶民の目から見ると、時にそのブルジョアぶりが鼻につきもするのだが、この国には少ない成熟した「市民」の存在を頼もしくも感じるのである。
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