日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ の商品レビュー
世紀末ウィーンの楽友協会ホールやカーネギーホール等、世界第一級のコンサート・ホールで何度も大喝采を受けた第一線のヴィルトゥオーゾが戦前から敗戦直後の日本に17年も暮らしていたというのは、まことに意外な思いがする。 当時の日本は、音楽といえばバッハとベートーヴェン崇拝に終始した...
世紀末ウィーンの楽友協会ホールやカーネギーホール等、世界第一級のコンサート・ホールで何度も大喝采を受けた第一線のヴィルトゥオーゾが戦前から敗戦直後の日本に17年も暮らしていたというのは、まことに意外な思いがする。 当時の日本は、音楽といえばバッハとベートーヴェン崇拝に終始した時代である。そんな時代に西欧現代の多様な音楽を網羅したプログラムでコンサートを開くかたわら園田高弘をはじめとする世界的な日本人ピアニストを育て、それを大日本帝国の頭脳の硬直した官僚や軍人たちが保護し、戦後の自由なはずの芸大関係者や批評家が冷遇して追い出したというのは、なんとも後味の悪い歴史のアイロニーであろう。 東京オリンピックの前年に弟子筋のピアニストや棟方志功、梅原龍三郎などの尽力で来日し、かつて何度もリサイタルを開き、満員の聴衆を沸かした日比谷公会堂でラスト・コンサートを開き、翌年ニューヨークで死去したというレオ・シロタの最期は、激動の19世紀末、20世紀を生き抜いた大ピアニストにいかにもふさわしい幕引きだったのかもしれない。
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