戦後短篇小説再発見(14) の商品レビュー
娘に言われて,確かに子供には子供道があると,私は思った。犬道に気をとられて,子供道に思いを致さなかったのは,われながら不覚に思われた。私は書斎に引き返すと,縁側の籐椅子に凭れて,芝と紀州の二匹の犬が春の陽光を浴びて寝そべっているのを眺めながら,犬道ならぬ子供道のことを考えた。私...
娘に言われて,確かに子供には子供道があると,私は思った。犬道に気をとられて,子供道に思いを致さなかったのは,われながら不覚に思われた。私は書斎に引き返すと,縁側の籐椅子に凭れて,芝と紀州の二匹の犬が春の陽光を浴びて寝そべっているのを眺めながら,犬道ならぬ子供道のことを考えた。私は伊豆半島の中央部の天城山麓の山村に育っているが,子供の時のことを振り返ってみると,村中を何本かの子供道が走っていたことに気づかざるを得ない。渓谷の共同風呂に行くにも,子供たちは自分たちだけの道を持っていた。毎朝の登校路など今考えてみると奇妙なものである。田圃の畦道を通り,小さい崖を降り,何軒かの農家の背戸を縫った上で,小学校の前を走っている往還に出る。そんなことをしないでももっとまともな道があった筈であるが,子供たちは何とはなしに旧道でも新道でもない自分たちの専用道路を作っていた。歩きにくい上に遠回りになる,道とは言えないような道を選んで,もっぱらそこだけを使っていた。 (井上靖「道」 本文p72-73)
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