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グ印亜細亜商会 の商品レビュー

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2015/06/03

グレゴリさんの本はほぼ読んでると思うけど、これは「字が多いから」と未読だった(本好きとは思えぬ理由だわ-)。読んでみたらばこれが大正解。 著者のアジア指向は、「失われた日本」への郷愁も色濃くあるんだなあ。考えてみれば当然のことかもしれないが、「妄想パスポートで行く日本映画」の章...

グレゴリさんの本はほぼ読んでると思うけど、これは「字が多いから」と未読だった(本好きとは思えぬ理由だわ-)。読んでみたらばこれが大正解。 著者のアジア指向は、「失われた日本」への郷愁も色濃くあるんだなあ。考えてみれば当然のことかもしれないが、「妄想パスポートで行く日本映画」の章にはそれがはっきり出ている。今の日本では、時代の流れがあまりにもはやくて、数十年前には確かにあったものの影さえなかなか見つけられない。アジアの街角にはそうした気配がまだ残っている(いた)ということなんだろう。古い邦画を見て、自分たちはこの人たちと同じ日本人なのだろうか?と嘆息するグレちゃんの気持ちを私も共有する。 この本の白眉は「電信柱の画家の街」の章だ。美術館で見た一枚の絵に一目惚れしたグレゴリさんは、その陳澄波という画家の絵をもっと見たくなって台湾に赴く。本当に思いがけない偶然により、著者は画家の息子さんの家に招かれ、彼の描いた絵に囲まれながら、その生涯と悲劇的な最期の話を聞くことになるのだ。いつものとぼけたグレちゃんではなく、この画家と同じく、絵とそこに描かれた風景を心から愛する者としての姿が強い印象を残す。のっている絵は小さなモノクロだが、是非見てみたいものだと思った。 「風景画、裸婦画、人物画、その画集の、初めて見る陳澄波の絵は不思議な激しさとあたたかさに満ちていて、ことに、台湾を描いた風景画ときたら、どうしようもなく絵の中に入ってしまいたい衝動にかられるものばかりでした。特に〈調配船廠的風景〉という絵など、中央下の船に続く坂道を誰かの名前、そう、たとえば『陳澄波さあぁーん』などと叫びながら駈け降りてみたくなってしまいます」 著者が一目惚れした絵は、陳澄波の故郷である嘉義を描いたもので、1934年の作品。「グは陳澄波が描いた頃の嘉義は、自然と文明がいちばん折り合いが良かった時代ではなかったかと思うのです」とあって、ああ、本当にそうかもしれないと思う。陳澄波が好んで描いた電信柱は木製で、電線という”文明”を支えていた。高い建物はなくて遠くの山が見え、クーラーもテレビもなく、人々は公園に涼みに出かける。もう決して戻れることのない街が、絵の中に息づいている。

Posted byブクログ