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一条天皇 の商品レビュー

4.2

8件のお客様レビュー

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2024/07/12

嫌がらせで部屋に死体を置くとか、嫌がらせの次元が違う…でも死体はその辺に転がっていたんだろうしな。三種の神器の銅鏡を焼損したのが一条天皇なのか。

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2024/06/21

テレビドキュメントを観ているような面白さがあった。さまざまな証言を交えながら歴史を写し撮っているような。 先に読んだ『禍福は糾える纏の如し 伊周・隆家』の復習をしながら、今度は一条天皇を主人公として、もう一度、この時代の歴史を振り返ることができ、充実した読書ができた。執筆順から...

テレビドキュメントを観ているような面白さがあった。さまざまな証言を交えながら歴史を写し撮っているような。 先に読んだ『禍福は糾える纏の如し 伊周・隆家』の復習をしながら、今度は一条天皇を主人公として、もう一度、この時代の歴史を振り返ることができ、充実した読書ができた。執筆順からいえば『一条天皇』のほうが先行している。著者は先行研究をベースにして、「伊周・隆家」の視点から『禍福は…』を執筆している。

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2024/05/29
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漢詩・和歌に親しみ笛の才溢れ、老獪な摂関家とも衝突を避けつつ、意思を込めた政治を行ってきた平安時代中期の聖王と語り継がれた一条天皇 人事や叙位・政務や儀式も後世に模範とされた天皇は25年の治世を時々の情勢の中で最適解を苦労して見出したのだろうな 定子に向けた愛情は彰子などの后にどれ程振り向けられたのだろう、せめて辞世の句が皇后(定子)向けでない事を祈りたい

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2023/10/05

2024大河への助走⑤ 時代考証の先生の著書 自分が知ってる "平安時代" ってほとんど一条朝の時代なのでは?と思うくらいなのに、たった30年強だったのは驚きだった。それだけ人材に富んでいて濃い時代だったんだろうな。 いろんな史料から引用してくれていてよか...

2024大河への助走⑤ 時代考証の先生の著書 自分が知ってる "平安時代" ってほとんど一条朝の時代なのでは?と思うくらいなのに、たった30年強だったのは驚きだった。それだけ人材に富んでいて濃い時代だったんだろうな。 いろんな史料から引用してくれていてよかった。説話から見るってのもおもしろい。信頼度は低いけどこういう解釈ができる、って言ってくれるので安心して読めた気がする。 閨関連の事象についてはオブラートに包もうとして却ってちょっと気持ち悪い表現になっている感があった。

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2023/05/22
  • ネタバレ

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古典に詳しくないので、難しい言葉も多かったのですが、興味深く読みました。 一条天皇の優しく親しみやすい印象に、さらに、気配り、学問好き、真面目が加わりました。それにしても、藤原道長がこんなにへそをまげて仕事をサボる人だったとは。で、一条天皇に圧をかけていたとは。気の毒です。道長より一条のほうが大人な印象です。短命なのはストレスのせい?と思ってしまいました。 その人生の中で、定子との日々は特別に感じられたでしょう。彰子の時代になるにつれ好きな笛もだんだんに吹かなくなったとは、諦めと言うか、気力が落ちていったのかな、とか考えます。彰子にはかわいそうですが、やはり辞世の句は、朦朧とした中で、定子を想って詠んだのでは?いや、気配りの人で優しかったから、若い彰子を心配したのかな?いやいや、彰子は道長がいるから大丈夫だし、敦康のこと最後まで心配してたよ?(その可能性はないのか?)とか、考えてしまいました。 今までは枕草子の一条天皇のイメージしかなかったので、よい本でした。

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2024/06/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

先日読んだ「藤原伊周・隆家」とやたら被るネタが…書かれた時期が近いのか。つーか、主役がバッチリ同時代人だから仕方ないのか。 でも最終章辺り、一条の日記、漢詩や和歌のセンスや笛の腕前の話などは、あまり他所で見かけない貴重な文献かと。

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2013/04/18

藤原摂関家を語る上で只の御輿のように表現されることも多い一条天皇について書かれた本。なかなか気骨ある帝であったことが分かる。 他説の引用には必ず出典が書いてあるので見やすく興味もそそる。吉川弘文館の本はそういう点で総じて読みやすい。

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2013/03/02

この時代の歴史の一般向けの本を読んでいつももやもやするのは、歴史書なのに、大鏡や栄花物語といった物語が引かれるところ。この本では、基本的にこれら歴史物語を、史実の叙述から排しているので、非常にすっきりした。一方、(網羅的に残存していないためもあろうが)断片的に引かれることの多い同...

この時代の歴史の一般向けの本を読んでいつももやもやするのは、歴史書なのに、大鏡や栄花物語といった物語が引かれるところ。この本では、基本的にこれら歴史物語を、史実の叙述から排しているので、非常にすっきりした。一方、(網羅的に残存していないためもあろうが)断片的に引かれることの多い同時代の古記録を、基本的・公的な史料と併せて、一条天皇の生涯を通して系統的に叙述に利用していて、周辺人物の個性に比べ若干無個性で受身な人物像しか提示しにくい一条をかなり立体的に浮かび上がらせている。 個別にもやもやしていたことがわかったような気になったりもした。 敦康の立太子については、歴史の後知恵では、そりゃもう目がなかったのでは…となんとなく思っていたが、一条が最後の最後まで粘っていたことや、当時は直系相続というより、兄弟間ないし迭立によりジグザグ相続が普通だったことを考えると、結構可能性があったんだなあ、彰子もそれを望んでいたというのもホントなのかもなあ(後年の行動を思うと、ちょっと信じられなかったのだが、敦康をはさんでも自分が産んだ皇子を帝位につけることの障害には必ずしもならないと思っても自然。もちろん当時の若さもある)、と思えた。 なんとなく天皇の元服は11歳くらい、と思っていたのだが、それは一条が最初で、それまでは15歳くらいが多かったこと、11歳くらいで元服して添臥がついてもすぐに性体験をしたわけではないのではないか、という示唆も、具体的な第一子誕生時の年齢を示されて、そうかあ・・・と思った。 少なくとも摂関期の天皇は、どのキサキ等と寝るかを、単なる自分の好みで決めたわけではないことも非常に納得だが、その中で、そのへんもマジメそうな一条が、(定子だけでなく)元子に相当執着していたのも興味深い。父の顕光がもうちょっと有能で、元子の最初のお産(?)のトラブルがなければ、(頼定との間には子供産んでいるんだから)歴史は変わっていたかもしれない。 ただ、子供が生まれていないことを、生まれる「可能性」がなかったのではないかと推測していることが多すぎるような気がした。やってもできないこともあるじゃん… 特に円融天皇が、「最初の皇子の母親として、遵子ではなく詮子を選んだ」(p.2)というのは、どうなんだろう… その後の円融と詮子の関係(里居を続けた=2人目以降の皇子の誕生の可能性を失くす)や、特に、子のない遵子を敢えて中宮にしたことなど考えると、別に遵子を排したわけではなく、遵子(頼忠)か詮子(兼家)のどちらかから皇子と思っていたが結果的にできたのは詮子のほうだった、くらいなのではないか。 それにしても、中関白家は公家社会で嫌われてたんだね。兼家・道隆の強引なやりようによって、すでに反感があったところに、彼らの早い死、伊周らの軽挙があって決定的になったんだろうが、特に、高階氏との関係が大きな要素だろう(高階一族の濃いい個性以前に、藤原氏でも王族でもない姻戚との密接な関係を藤原氏をメインとする公家社会が毛嫌いしたんだと思う。)ということを考えると、道隆と貴子は恋愛結婚だったんだろーなーと思うんだが、高階氏の女を正妻として遇すことを兼家がよく許したもんだと不思議に思う。自らを恃むところの大きい兼家には、それくらいどってことないと思えたのだろうか?

Posted byブクログ