専門知と公共性 の商品レビュー
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市民は、科学者の誠実さが何を守るために生じているのか(ジャーナル共同体における精確さを守るために生じている)理解すべきであるし、そしてそれは専門家としての責任からそうしているのだ、ということを理解すべきであろう。また科学者の側は、市民が求めているものが自らが誠実さと信じていたもの(ジャーナル共同体における精確さ)とは違うものであることを理解し、ジャーナル共同体への誠実さだけでは、公共の問題に対峙できないことを知る必要がある。(p.27) 科学者にも予測がつかない問題を公共的に解決しなくてはならないときには、科学的合理性は使えなくなる。それに代わって、「社会的合理性」というものを公共の合意として作っていかなくてはならない。(p.80) 科学的合理性とは、科学者集団の妥当性境界によって保証される合理性のことである。社会的合理性とは、「ある公共の妥当性境界を、社会的場面での判断の基準として採用する」判断を担保する、意思決定のしくみのことを指す。(p.108) 科学的事実は、科学者集団内部の方法論的真偽テストにのっとった、つまりジャーナル共同体の査読基準に合致する、理想的条件、前提条件のもとで成立するものである。つまりそれらの条件や状況に依存して、その事実は成立するのである。したがって、それを社会的場面に応用するためには、その科学的知見が妥当とされた状況に立ち戻って条件を見直す必要がある。 ところが科学的知識において、その成立条件が妥当とされた仮定がいつのまにか忘れ去られてしまい、「一般に」「どのような条件下でも」成立するかのように考えられがちである。そうではなく、実は事実が成立するための条件があり、その条件の多くは、社会的場面に応用する上では成立しない場合が多いのである。これが、理想系(ジャーナル共同体で行われる研究)と現実系(公共の問題解決)との違いである。(p.125) 感覚の感度(sensitivity)とそのことの認識と、そしてその表現としての語彙(語のネットワーク)は不可分に結びついて、ある文化の感覚と言語体系を形作っていると考えられる。(p.144) 標準化とは、グローバリゼーションの名のもと、ある理想系の変数結節を、各現場に押し付けることかもしれないとも考えられる。理想系と現場系とでSN比が同じ場合はいいかもしれない。しかいs、大事な変数が異なる場合、固有な変数を持つ場合は、問題である。このように考えてくると、科学技術と社会との接点における科学のもつ問題は、「過度の普遍化」の問題と考えることができる。標準化を通じての普遍性の獲得は、ときにその標準化のプロセス、操作化の過程(仮定)に存在したものを忘却させ作用をもつ。過度の普遍化、一般化がないかどうか、現場系の問題を考えるときには、気をつけなければならない。(p.151) 学問は何のためにやるのか。ウェーバーの著作を目隠し論および禁欲論のすすめと読むと、学問は自己修練のためというような自己閉鎖的な答えになってしまう。しかし、どの立場かも距離を取り、どのような党派的意見にとっても存在する、都合の悪い事実を承認することを教えることを推奨する、学問的作業(Sache)への回帰と読めば、もっと社会に開かれた答えになる。学問は何のためにやるのか。洗練された方法論をもって、専門家としての知識蓄積にはげむと同時に、社会の意思決定の場では、各立場の状況依存性と変数結節を解き明かす立場にたつことである。社会の意思決定の場では、公共の妥当性境界のために知恵をしぼり、現場に状況依存した変数も考慮して、選択肢の提示とその選択結果の予測を事実として提示すること。それらを解き明かしたのちに、選択を社会にゆだねるのが、専門家の責任である。(p.207)
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2010 10/1読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りて読んだ。 『情報管理』誌掲載の長神風二さんの書評(http://dx.doi.org/10.1241/johokanri.53.348)を読んで、デジタル積読に入れていた本。 なんとか次号が出る前に読めた。 「科学者にも...
2010 10/1読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りて読んだ。 『情報管理』誌掲載の長神風二さんの書評(http://dx.doi.org/10.1241/johokanri.53.348)を読んで、デジタル積読に入れていた本。 なんとか次号が出る前に読めた。 「科学者にも予測がつかない問題」を公共的に解決する、という現代の課題に際し、専門家の役割をどう再定式化するか、といった内容の本。 第1部では科学者の専門主義を支える機構=ジャーナル共同体についての考察と市民との間のコミュニケーションギャップについて扱い、続く第2部でその専門主義と「公共性」がいかに折り合いをつけるか、という点について扱う。 科学者集団の単位にジャーナル共同体を使う点等、実感に即した部分多し。 全体に興味深い、だけではなく、オープンアクセスを市民への公開として考える場合に参照すべき知見が多い。博士論文執筆時に再読する必要があるかも。 さらに、ここで言われている「状況依存」し、現場の変数結節を大事にした知識生産、という考え方は自分の研究テーマを超えて図書館情報学全体のありようを考える上でも面白い。 書評中で紹介された長神さんGJ! (その長神さんのお話でたびたび触れられている考え方についても本書を読んでより理解が深まった気がする)
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専門知と現実に起きる社会問題の兼ね合いについて 「科学社会学」という視点から述べた著書。 キーワードは妥当性境界、状況依存性、変数結節。 水俣病やO157など、 自然科学の専門知が必要とされる問題が上がっており、 文系の人は関心が持ちづらいかもしれないが、 「学問がどのように...
専門知と現実に起きる社会問題の兼ね合いについて 「科学社会学」という視点から述べた著書。 キーワードは妥当性境界、状況依存性、変数結節。 水俣病やO157など、 自然科学の専門知が必要とされる問題が上がっており、 文系の人は関心が持ちづらいかもしれないが、 「学問がどのように社会で役立つか」 ということを考える上で、 かなり貴重な提言をしていると思う。 学問や科学的知見を信じて疑わない人、 あるいは逆にほとんど信用していない人、 この両者にお勧めの著書。 実際、学問を崇拝気味だったレビュアーにとって 目から鱗の著書であった。 それに、科学的知見の意義と限界、 そして専門家とそうでない人の間の 「学問」への認識の違いについて述べているので、 逆に専門知が役に立たないと思い込んでいる人も 内容を理解すれば目から鱗だと思う。
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不確定要素を含み、科学者にも答えられない問題だが、今現在社会的合意が必要な問題について、どのように意思決定すべきか、ということについて書いた本。 抽象的で難しい部分もありますが、遺伝子組み換え食品の安全性や狂牛病について、意思決定の際に何が問題なのかが見えてきました。
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専門知をいかに公共性を持つものに転換していくかを考えていて、集合的な決定をいかに成していくかを考察していく上で参考になる。
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