イギリスの大学改革1809-1914 の商品レビュー
本書にふれる前に、山川の世界史の教科書を読んだ。19世紀の近代社会になって学校制度が発達した理由は、「18世紀のイギリス社会が経済的な私的利潤の追求を最高目的とするようになり、古い家柄や身分を離れて、個人が自分の才能を発揮するようになった」、「そして、しだいに個人的な才能を身につ...
本書にふれる前に、山川の世界史の教科書を読んだ。19世紀の近代社会になって学校制度が発達した理由は、「18世紀のイギリス社会が経済的な私的利潤の追求を最高目的とするようになり、古い家柄や身分を離れて、個人が自分の才能を発揮するようになった」、「そして、しだいに個人的な才能を身につける教育が重視されるようになった」からとある。さらに、複雑かつ高度な社会システムを管理する官僚制度を維持するための知的エリートの輩出も求められた。以上を頭に置いて、「イギリスの大学改革」を読み進めた。これらのことは、産業革命、科学の発達、功利主義の台頭、宗教の緩和が大きくかかわる。 当時のイギリスの大学改革の中心は、教養教育と科学に対するものだった。 19世紀半ば以降の理念論争は、おおよそ次の論が展開された。ニューマンの古典擁護論(知識それ自体が目的、知識のための知識)、スペンサーの科学重視論(職業の直接寄与する学問)、ミルの教養機能擁護論(知性涵養としての古典と科学→プロセスで知性を得る)、ハクスリとパティソンの論(教養教育としての科学「大学は研究の場」)、大学は教育の場(ジョウエット)、アーノルドの人文的教養擁護論(内的本能に基づく学習)という具合だ。 今の日本の後期中等教育と大学教育の側面からは、ミルの論が親しみやすい気がする。いずれにせよ、戦後の新制大学成立からの教養教育と科学又は専門教育の議論は、大学制度がある限り続くものと割り切りたくなった。 オックスブリッジとは別に、ロンドン大学が1836年に設立された。大学が非イギリス国教徒・中産階級にも門戸が開かれ、科学に基づく専門職業教育が行われた。さらにダラム大学・オウエンズカレッジといった地方都市カレッジも誕生し、地方産業・文化の振興が図られた。非職業的教育を温存させたのは、教養を重視した官僚採用試験があったからだという。 本書を読んでから、今の日本での教養教育を考える場合、公務員試験とセットで考えると良いのではないかと思った。今の試験制度が悪いというのではなく、公務員試験問題は、ある意味、国が考えた受験者に求める「教養」の思想であり、大学に限らず多くの教育機関が意識しているからだ。
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