“帝国" の商品レビュー
階級闘争型の従来の労働運動とは異なる、政党主導の政治運動とは異なる、自己決定やアイデンティティをめぐる社会運動。新しい社会運動。上意下達のヒエラルキーではなく、横並びのネットワーク。仏の五月革命、米のベトナム反戦、ポーランド連帯(ワレサ)。環境保護、フェミニズム推進、反戦、反人種...
階級闘争型の従来の労働運動とは異なる、政党主導の政治運動とは異なる、自己決定やアイデンティティをめぐる社会運動。新しい社会運動。上意下達のヒエラルキーではなく、横並びのネットワーク。仏の五月革命、米のベトナム反戦、ポーランド連帯(ワレサ)。環境保護、フェミニズム推進、反戦、反人種差別。アラン・トゥレーヌTouraine『現代の社会闘争』1970 資本家と労働者の対立が緩和され、治安・経済成長・平等がある程度充たされ、昔ながらの労働者による社会運動とは異なる新しい社会運動が生まれた。新しい社会運動の特徴は、担い手が多様(マイノリティなど)、テーマが多様(平和・人権・環境)、自己決定やアイデンティティを重視、水平でインフォーマルなネットワーク。クラウス・オッフェOffe 1985 女性、LGBT、人種、環境、貧困。様々な争点がある。各々ばらばらに運動するのでなく、運動同士が連帯すべき。領域を横断。そうすれば民主主義はより根源的になる。▼政治は友と敵を分けるが、敵ではなく対抗者と見よう。多様な者、異質なものをお互いに認め合うことが政治だ。色んな人と議論を戦わせることで、自分は何者かも確認できる。容易に決着しない異なる政治的主張同士が正当性をかけて激しく争うこと自体がデモクラシーの本質であり、他者の説得や他者との合意を強調しすぎてはいけない。闘技的(agonistic)なデモクラシー。シャンタル・ムフMouffe『ポスト・マルクス主義と政治』1985 情報社会で自由に情報を得られるようになり、人々(とくに高い教育を受けた中産階級)は自分の生き方やアイデンティティを求めるようになった。自分の在り方を受け入れてもらいたい。社会運動は何かを勝ち取るための手段ではなく、自己を表現すること自体が目的となっている。アルベルト・メルッチMelucci『現代に生きるノマド』1989 アメリカ、G8、多国籍企業、世銀、IMF、世界経済フォーラムなど、権力のネットワークが形成されている。中心があるわけでもなく、特定の領土に限定されることもない権力のネットワーク。この巨大権力のネットワークに対抗するには、支配される民衆もネットワークを作る必要がある。反資本主義を掲げる学生・ジャーナリスト・学者・会社員・移民など、様々な人がつながり、集まり、議論し、行動する。伝統的な社会主義運動・労働組合運動・左翼政党とは異なるネットワークによる抵抗を目指そう。WTOへの抗議運動、G8への抗議運動、ダボス会議への抗議運動。世界社会フォーラム。ネグリ&ハートNegri & Hardt『帝国:グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』2000 左派ポピュリズムを盛り上げて右派ポピュリズムに対抗しよう。左派ポピュリズム政党を支持しよう(メランション率いる不服従のフランス・スペインのポデモス・ギリシアのシリザ)。反新自由主義、反グローバリゼーション、EU懐疑主義、環境主義。シャンタル・ムフMouffe『左派ポピュリズムのために』2019
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60を超えて読むには無茶苦茶わかりにくい本。翻訳のせいなのか、悪文なのか?久しぶりにこんな本読んで、頭がトコロテンだ。最近の柔らかいファシズムと言われるものと帝国の話はつながるのかな?40年以上前の大学の国際関係論のゼミで、きちんと体系だった勉強すべきだったな。遊びすぎた。勉強し...
60を超えて読むには無茶苦茶わかりにくい本。翻訳のせいなのか、悪文なのか?久しぶりにこんな本読んで、頭がトコロテンだ。最近の柔らかいファシズムと言われるものと帝国の話はつながるのかな?40年以上前の大学の国際関係論のゼミで、きちんと体系だった勉強すべきだったな。遊びすぎた。勉強しなおすか。
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数年前にこれを図書館から借りて読んだが、今思い返してそこに何が書いてあったか、さっぱり思い出せない。いや、マルチチュードとかいう言葉が何とも生煮えで宙ぶらりんの形で記憶に引っかかってはいる。読み終わった時は、この理解できなさは、多分日本語の訳のせいではと思いつき、確か原書まで買っ...
数年前にこれを図書館から借りて読んだが、今思い返してそこに何が書いてあったか、さっぱり思い出せない。いや、マルチチュードとかいう言葉が何とも生煮えで宙ぶらりんの形で記憶に引っかかってはいる。読み終わった時は、この理解できなさは、多分日本語の訳のせいではと思いつき、確か原書まで買った記憶がある。でも今日まで原書の読破も果たされぬまま、分厚いEmpireもどこかに埋蔵されているはずだ。ということで、「要再読」のタグは付けておこう。
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[ 内容 ] グローバル化による国民国家の衰退と、生政治的な社会的現実の中から立ち現われてきた世界秩序=“帝国”とは何か? 21世紀的現実=“帝国”の解明。 [ 目次 ] 第1部 現在性の政治的構成(世界秩序;生政治的生産 ほか) 第2部 主権の移行(二つのヨーロッパ、二つの近...
[ 内容 ] グローバル化による国民国家の衰退と、生政治的な社会的現実の中から立ち現われてきた世界秩序=“帝国”とは何か? 21世紀的現実=“帝国”の解明。 [ 目次 ] 第1部 現在性の政治的構成(世界秩序;生政治的生産 ほか) 第2部 主権の移行(二つのヨーロッパ、二つの近代性;国民国家の主権 ほか) 第3部 生産の移行(帝国主義の諸限界;規律的統治性 ほか) 第4部 “帝国”の衰退と没落(潜在性;生成と腐敗 ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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130921 中央図書館 やはり分厚い本なので、図書館の貸し出し期間では、読了といえるかどうか・・。 再読が必要。ただし、柄谷行人の「世界共和国」を読んでからにしようか。
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大著である。序に「本書の執筆は、ペルシャ湾岸での戦争がまさに終わった後に開始され、コソヴォでの戦争がまさに始まる前に完了した。」とあるように、執筆姿勢はきわめて今日的な問題意識に貫かれている。世界は、この書物の執筆期間に負けず劣らず混迷の度を深めている。国連という機関の存在を無視...
大著である。序に「本書の執筆は、ペルシャ湾岸での戦争がまさに終わった後に開始され、コソヴォでの戦争がまさに始まる前に完了した。」とあるように、執筆姿勢はきわめて今日的な問題意識に貫かれている。世界は、この書物の執筆期間に負けず劣らず混迷の度を深めている。国連という機関の存在を無視した米英軍によるイラク攻撃という異常事態に見舞われている今日の世界を読み解く上での示唆に満ちた書物というべきか。 著者のアントニオ・ネグリは60年代イタリアの非共産党系左派の理論的指導者として知られるが、後にテロリストの嫌疑をかけられ投獄、現在は仮釈放中の身である。マイケル・ハートは亡命中のネグリが教鞭を執ったパリ第8大学で彼に師事し、ネグリが獄中で執筆したスピノザ論『野生のアノマリー』を英訳している。二人の著者は本書の中で共産主義者であることを宣言し、プロレタリアートに未来を見出している。これは現在の社会的風潮から見てもきわめてめずらしいことと言わねばなるまい。 ソヴィエト連邦の瓦解により、冷戦時代は終焉し、世界は合衆国がヘゲモニーをとる資本主義社会に落ち着くかのように思われた。ところが、政治的には、二十世紀最後の十年間は湾岸戦争をはじめとする戦争、紛争、内戦が後を絶たず、まさに世紀末的な様相を帯びることになった。経済的には「グローバル化」という言葉が盛んに叫ばれるようになったが、「グローバル化」とは単なる「アメリカ化」のことではないかという批判に見られる如く、国民国家という政治形態はその流れに脅威を感じていた。 著者たちは、この混沌たる時代に現れた「グローバル化」の動きを、従来の「帝国主義」とは一線を画し、「〈帝国〉」と名づける。つまり、「〈帝国〉」は、かつての「帝国主義」のように、一つの国民国家の主権の拡張の論理に基づくのでなく、脱領土化、脱中心化されたネットワーク上の支配装置であると主張するのだ。ドゥールーズ/ガタリからとられたと思われるこの概念は、今までにない画期的な秩序と権力の構成を示唆する。 国家という領土を持たず、国民という臣民を持たない「〈帝国〉」は、その力を行使するために、必然的に労働力を多国間の多様な人民に頼らざるを得ない。ここに、「〈帝国〉」に対する対抗勢力として「マルチチュード」が誕生する。「マルチチュード」はスピノザに由来する概念で、一般的には「群集」「多性」と訳されたりするが、まったく新しい能動的な社会的行為体であり、働くことによって自己を特異性として生産する新しいプロレタリアートなのである。 スピノザ、マキアヴェッリ、フ-コー、ジル・ドゥールーズ、フェリックス・ガタリ、ベンヤミン、ウィトゲンシュタインそれにマルクスやローザ・ルクセンブルグを援用しながら、ローマ帝国の時代から合衆国に至るまでの権力の推移とそれに対抗するマルチチュードの布置を論じる筆さばきは鮮やかなものだが、一番の問題は、「〈帝国〉」という現実的な権力と秩序の持つリアリティに対して、対抗勢力として期待されながら、現実には分断されたままの「マルチチュード」の圧倒的な脆弱さをどうするかという点にある。この大事な点に来ると、著者の語り口は荒野に呼ばわる預言者のようで、今ひとつ説得力が感じられない。ひねくれ者の評者などは、著者が「ホモ・タントゥム」と呼び、一種の社会的自殺だという「労働と権威の拒否」「自発的隷従の拒否」という在り方の方に惹かれてしまったのだった。
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過去の遺物のような左翼が書いた本は、大きな物語であり、刺激的な議論を巻き起こし、おもしろいので、暇つぶしで読むには、ちょうど良い。 グローバリゼーションの時代にアメリカ合衆国をも含む、新たな主権的権力が出現している。国境を越えた、単一の支配論理のもとに統合された一連の超国家的な組...
過去の遺物のような左翼が書いた本は、大きな物語であり、刺激的な議論を巻き起こし、おもしろいので、暇つぶしで読むには、ちょうど良い。 グローバリゼーションの時代にアメリカ合衆国をも含む、新たな主権的権力が出現している。国境を越えた、単一の支配論理のもとに統合された一連の超国家的な組織体。 一つめは、国連や IMFやWTOのような国際機関。 二つめは、主に多国籍企業や諸国民国家。 三つめは、国際的メディアや宗教団体やNGOなど。 そして、それに対抗するのが、賃金労働者や主婦や失業者、学生や老人、移民や障害者やセクシュアル・マイノリティなどの人々マルチチュードだ。 図書館で借りたら、寝転がって読んで、すぐに返せるので、うれしい。 こんなデカい本がいつまでも部屋にあったら困るよ。
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現在のアメリカ一極世界は<帝国>である。 それは西欧が未開人を従属させていく、過去の帝国主義とは異なる。 単一の論理で、単一の価値観により、内部統制された社会で、管理社会の中で人間は消費を促されて消費をするための労働を余儀無くされる。 脱出困難な支配構造で、ドロップアウトは社会...
現在のアメリカ一極世界は<帝国>である。 それは西欧が未開人を従属させていく、過去の帝国主義とは異なる。 単一の論理で、単一の価値観により、内部統制された社会で、管理社会の中で人間は消費を促されて消費をするための労働を余儀無くされる。 脱出困難な支配構造で、ドロップアウトは社会的な死を意味する。 最近、良く思うのは、一体自分たちは誰に支配されているのだろう? という疑問。 社会、制度、技術、システム自身が膨張し、それをコントロールできる人間がいない気がする。 それは、民主党政権を見ていても思うし、東日本大震災による原発事故でも、法律の条文を読んでいても、システムの設計所を見ていても感じる。 誰か1人がコントロールするのを避けた結果、誰もコントロールできなくなった社会、それが自分が感じる<帝国>のイメージだ。 生命線でもある経済・金融で行き詰まりを見せる<帝国>はどのように、次の体制に移行するのか。 今、生きること、自由、幸せそれら誰かに刷り込まれたものを、自分の頭で皆考え、支配から解き放たれるような変革が起きる時代に突入しつつある気がする。
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<帝国>は歴史的時間を汲み尽くし、歴史を宙づりにし、それ自身の倫理的秩序のなかに過去と未来を呼び集める。p25 <帝国>において、倫理・道徳性・正義は、新たな地平へと投げ入れられるのである。p36 (Cf. ミシェル・フーコー)規律社会から管理社会へ。そこでは生権力が作用する。自分のメモ 社会構造とその発展過程の中枢にまで到達した権力の内部に包摂されてしまった社会は、まるで単一の身体のように反応するのだ。このようにして権力は、全住民の意識と身体の深奥にまで行き渡ると同時に、社会的諸関係の総体を横切って拡がっていくような管理として表現されることになる。p42 フーコー「社会による諸個人の管理は、意識やイデオロギーをとおして行われるだけでなく、身体の内部で、身体とともに行われるものである。資本主義社会にとって何よりも重要なのは、生政治的なものであり、生物学的なもの、身体的なもの、肉体的なものである」p46 <帝国>の生政治的なコンテクストがもつ支配力は、まず第一に、空虚な機械、スペクタクルの機械、寄生的な機械とみなされるべきであろう。p91 ニコラウス・クザーヌス「思弁とは「なぜあるのか[原因の認識]から「何があるのか」[本質の認識]へと知性が動くことである。そして、「何があるのか」と「なぜあるのか」のあいだには無限の距離が存在するのだから、そのような知性の動きが終わることはけっしてないだろう。しかも、それは非常に楽しい動きなのである。というのも、そうした動きは知性の生命そのものだからだ。このような事実から、知性のそうした動きは満足を見出す。というのも、その動きは徒労感でははく、光と熱を生みだすものだからだ」p102 近代性そのものは、危機によって定義されるものなのである。そして、この危機は、内在的・構築的・創造的な諸力と、秩序の回復を目指す超越的権力とのあいだの、絶え間のない抗争から生じる。p108 スピノザ「自由な人間は何よりも死について考えることがない。そして彼の知恵は、死についての省察ではなくて、生についての省察である」p110 ヘーゲル「即時的かつ対自的な国家は人倫的全体である。<中略>国家が存在することは、世界における神の歩みにとって必須の事柄なのだ」p117『法の哲学』 ジャン・ボダン「主権的至高権威と絶対的権力の要点は、臣民全般の同意なしに彼らに法をあたえることからなる」p119 ヘーゲル「私法および私的利福の領域、家族および市民社会の領域に対して、国家は一面では外的必然性であり、それらの領域より高次の力であって、その本性にそれらの領域の利害と同様に法律も従属させられ、依存させられる。しかし、他面では、国家は、それらの領域の内在的目的であり、国家はその強さを、普遍的な究極目的と諸個人の特殊的利害との統一において、すなわち諸個人が諸々の権利をもつかぎり、同時に国家に対する諸々の義務をもつという点においてもつのである」p122 『法の哲学』 形而上学的な領域に視点を移してみた場合に、至高の君主制的身体が神の身体の一部であったのとまったく同じように、封建的所有権は君主の身体の一部であったのである。p131 国民的同一性とは、血縁関係という生物学的連続性と領土という空間的連続性、そしてまた言語の共通性にもとづいた、統合を推進する文化的同一性のことである。p132 ネーションの概念は、支配者の手のなかにあるときは静止状態や秩序の回復を助長するものであるが、被従属者の手のなかにあるときは変化と革命のための武器となるようにみえるのだ。p145 民族が進歩的でものであるのは、あくまでもそれがより強力な外的諸力から自分を守るために固められた防御線である限りにおいてなのだ。p146 マルチチュードの脱領土化の欲望こそが、資本主義的発展のプロセス全体を駆動するモーターなのであり、資本はたえずそれを抑えこもうと試みなければならないのである。p168 他性とは所与のものではなく、生産されたものなのである。p169 【ポストモダニズム】 ・ポストモダニズムの分析は、グローバルな差異の政治、国家の境界の厳格な条里化を逃れた、平滑な世界を横切る脱領土化された流れの政治の可能性のほうを指し示しているのである。p189 ・何が新しいかといえば、ポストモダニズムの理論家たちは近代的主権の終焉を指摘しており、近代の二項対立や近代の同一性の枠組みの外部で思考する新しい能力、複数性と多種多様性の思考を実演しているという点である。p190 ・思いきり単純化して言えば、ポストモダニズムの言説はグローバリゼーションの過程における勝者に主として訴えかけ、原理主義はその敗者に訴えかけているのだと論じることもできるだろう。p198
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難しいけど面白い!マルクスからドゥルーズまで縦横に駆使して、グローバリゼーションの姿を描き出しています。グローバリゼーションを国家を超えた主権<帝国>の勃興として捉え、マルチチュードによる<帝国>への抵抗に可能性を見出す。書かれて10年たっているけど、今だからこそこの視点が活きる...
難しいけど面白い!マルクスからドゥルーズまで縦横に駆使して、グローバリゼーションの姿を描き出しています。グローバリゼーションを国家を超えた主権<帝国>の勃興として捉え、マルチチュードによる<帝国>への抵抗に可能性を見出す。書かれて10年たっているけど、今だからこそこの視点が活きるんじゃないかな。とりあえず第1部だけでも読む価値ありです。
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