草原と砂漠のモンゴル の商品レビュー
(2004.10.08読了)(2004.09.29購入) 副題「グレートジャーニー・人類5万キロの旅12」 冒険物、探検物、動物記、昆虫記というのは出版社にとっては子供向けになることが多いようで、グレートジャーニーも子供向けで出ている。写真集は大人向けでしょうけど。 テレビでの放...
(2004.10.08読了)(2004.09.29購入) 副題「グレートジャーニー・人類5万キロの旅12」 冒険物、探検物、動物記、昆虫記というのは出版社にとっては子供向けになることが多いようで、グレートジャーニーも子供向けで出ている。写真集は大人向けでしょうけど。 テレビでの放送のほうは、だいぶ前に終了しているけど出版のほうはだいぶ遅れてしまったようだ。15巻まで出ているようなので、おいおい追いかけることにする。 500万年前に東アフリカで誕生した人類は、アジア、北アメリカを経由して南アメリカの南端にたどり着いた。この旅をグレートジャーニーと呼ぶのだそうです。探険家・関野吉晴は、この人類5万キロの旅を南アメリカの南端から出発して逆コースでアフリカまでたどり着こうという計画を立て、1993年12月出発。徒歩、カヤック、自転車、犬そり、など自分の足と腕の力で?たどり始め、モンゴルへとたどり着きました。 この巻は、1999年9月から、2000年5月までのモンゴルの旅の部分が扱われています。不幸にしてこの年モンゴルは大寒波に見舞われ、家畜が食料がないため大量に餓死し、大被害を受けました。 自転車で、ロシアからモンゴルに入りウランバートルを目指します。 「モンゴルの食堂では、客の注文を聞いてから食事の準備を始めます。コンロをかねたストーブに薪を入れて、それから野菜や肉を切り始めます。料理がテーブルに運ばれるまで2時間くらいかかるのも珍しくありません。」(客があまり来ないということでしょう。) 2000年は、寒さのためモンゴルでは多くの家畜が死んでしまいました。家畜がばたばたと餓死するような状態をモンゴルでは「ゾド」というそうです。政府から牧草が送られてくるけれど有料だということです。遊牧民に牧草を買うお金はありません。社会主義が崩壊した弊害が出ています。医療費についても同様で、現金を持っていない遊牧民は、医者に行っても診療を拒否されてしまうということです。 日本を含む海外から支援物資が届いていますがウランバートルから輸送する資金がないので運べないということです。送りつけるだけでは援助にならないようです。 ゴビ砂漠は、ラクダで渡りました。長い距離を一人の人のラクダを借りる事はできなかったので、何回かラクダの持ち主を買えながらリレーで渡りました。ラクダの飼い主によって、ラクダの扱い方も様々です。中国国境までたどり着いて今回の旅は終わりです。 今回は、遊牧民の少女プージェと関野さんの交流の様子が印象的でした。 著者 関野 吉晴 1949年 東京生まれ 一橋大学法学部、横浜市立大学部卒業 探検家、写真家、医師。 著作 「文明なき幸福」関野吉晴著、かんき出版、1978.02.25 「幻のインカ」関野吉晴著、立風書房、1980.11.10 「ケ口 遥かなるインカの村」関野吉晴著、朝日新聞社、1984.06.15 「わがアマゾン トウチャン一家と13年」関野吉晴著、朝日新聞社、1986.11.10 「ネブリナ山探検紀行」関野吉晴著、日本放送出版協会、1987.09.20 (「BOOK」データベースより)amazon グレートジャーニーとは、五百万年前に東アフリカで誕生した人類が、アジア、北アメリカを経由して南アメリカの南端にたどりつくまでの五万キロの旅のことです。一九九三年十二月、探検家・関野吉晴はこの人類の旅路を、徒歩、カヤック、自転車という、自分の足と腕の力だけでたどりはじめました。ロシアの国境を越え、モンゴルへ。はじめてアジアに足をふみいれました。自転車で進むとちゅうであった遊牧民の少女プージェのくらしや、モンゴルをおそった大寒波による「ゾド」の被害のようす、遊牧民とともにゴビ砂漠をラクダに乗って縦断した旅のようすを報告します。
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