最後の家族 の商品レビュー
初めての村上龍
『ひきこもり』がいる家族の話。 最後お向かいさんはどうなったの? ちょっと疑問が残りましたが、まぁ読みやすかったです。
鹿内美保
色々勉強になりました…
色々勉強になりました。小説としても面白い。ラストが良かった。
文庫OFF
村上氏の小説を読むの…
村上氏の小説を読むのは本書が初めて。面白い…というとちょっと違うかもしれないがひきこもりの青年とそれを取り巻く家族の様子がリアルな感じであり、それでいて読みやすい。
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同じシーンを、引きこ…
同じシーンを、引きこもりの主人公とその家族の視点から描いている。主人公だけでなく家族の悩み・苦しみを、きっちりと書かれており、ひきこもりについて読みたい人におすすめ。
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ドラマ化された作品。…
ドラマ化された作品。現代の家族を浮き彫りにした作品
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同じ「ひきこもり」を…
同じ「ひきこもり」をテーマにした小説に『共生虫』がありますが、『最後の家族』のほうが、よりリアルな内容になっていると思います。
文庫OFF
会社倒産へのカウントダウンに気が気でない父、引きこもりの息子、支える母、元引きこもりの年上男性と交流する妹。皆が少しずつ流されながら自立していくが、個々の自立は家族の分裂を意味するのか…?と途中は読んでいてやや苦しい。一方で、締めくくりはテレビドラマの脚本らしく美しい。 亭主関白...
会社倒産へのカウントダウンに気が気でない父、引きこもりの息子、支える母、元引きこもりの年上男性と交流する妹。皆が少しずつ流されながら自立していくが、個々の自立は家族の分裂を意味するのか…?と途中は読んでいてやや苦しい。一方で、締めくくりはテレビドラマの脚本らしく美しい。 亭主関白気味だった夫が心身ともにくたびれ果てていく中、対象的にどんどん強くなっていく母の変化に目を見張る。カウンセリング、NPO法人、年下の恋人(?)、それぞれの関係に一つ一つ自己判断と結論を下していく様が、不器用ながらも強い。父にも息子にも毅然と向き合う。その強さは高校卒業後の進路を自分で決めた妹にもあるし、隣家のDVを何とかしようとした兄にもあった。隣家の妻はこれから身につけるのかもしれない、つけないのかもしれない。 美しさと物足りなさと救われなさを一挙に感じた。挫折しそうな時も、した時も、家族が結集できる場所があるのなら大丈夫なのかも。どうなんだろうか。
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村上さんの作品を読んだのはこれで2冊目ですが、独特の緊張感があると感じました。その緊張感が私には合わない…
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感想 家族が失われるきっかけ。案外どこにでもある。もし崩れてしまっても。個人の人生は続く。どこかで誰かと新しい家族を作りながら。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
家族を守るため、業績不振の会社にしがみつく父親。 朝は自分の淹れたコーヒーを家族にふるまい、晩は家族そろって食事をとる、ことを家族に強要する。 息子はそんな父に反発し、暴力を振るう。 本当は世間に出ていくのが怖い引きこもりなのに。 そんな二人の間で母親は、父を立て、長男の気持を推し量ることに疲れ果てている。 娘は家族を嫌いなわけではないが、顔色を窺いながら暮らす生活は嫌だと思う。 一つ屋根に住んでいながら、家族の気持はばらばらだ。 そもそも父親である秀吉の家族のイメージが、笑えるくらい独りよがりだ。 しかし秀吉は家族のため、リストラの不安におびえながら、そんな素振りを家族には一切見せない(つもりでいる。実際は、家族は秀吉の気分に相当振り回される)。 家族を守るのは自分しかいないのだから。 「○○のためだから××をする」という言葉は「○○のせいで××をしなければならない」と同じ意味になってしまうことはよくある。 「○○のために」は、本当に○○のためになっているのか。 息子・秀樹は、ひょんなことからある人を救うために少しずつ生活を変えていく。 夜型の生活を朝型に変え、コンビニや本屋に出かけることができるようになり、ある人を救えるだろう人たちへ電話をかける。 自分の意見を述べる。相手の言うことを聞く。必要な行動を起こす。 彼の世界は広がってきた。ある人を救うために。 そんな時に言われたひとこと。 「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」 家族のために生きることが、母である昭子の存在意義だったのかもしれない。 夫の世話をし、子どもたちの面倒を見る。 しかし夫は最近いつも不機嫌で、思春期を迎えた子どもたちの考えていることなど、もはやわからない。 昭子はひきこもりの息子のことを相談するために、精神科医やカウンセラーに通っていた。 そこで知り合った大工の延江と親しくなる。 とはいっても、たまにランチを一緒に食べるくらいなのだが。 それでも、自分の仕事に迷いがなく、ひいては自分自身に揺らぎのない延江と話すのは、秋絵にとっていい気晴らしになったことは間違いない。 ただ、28歳の大工が、家族との関係に疲れ切った41歳の人妻の、どこに惹かれたのかが不明。 さらにこれがプラトニックな恋愛であることにも、驚く。 娘の知美は、友だちの紹介で29歳の宝石デザイナーと付き合っている。 といっても、こちらもまたプラトニックなのである。 彼氏である近藤は、勉強のためにイタリアへ行くことにしたが、知美も一緒にどうか、という。 結婚をするわけではない。 ただ、一緒に暮らして、互いにイタリアで何かを学ぶ生活をしないか?と。 これもまた不可解。 「うん、行く」と簡単に言える話じゃないよね、普通。 お金のこと、親を説得すること、高校生にはハードルが高すぎる。 でも、彼ら家族は、共に暮らすことをやめた。やめることを選んだ。自分達で。 けれどその選択は、彼らに家族というものを考えさせ、互いを思いやり、そのためにそれぞれが自立することになった。 昭子は離婚しないまま実家に戻り、延江と交際を続けつつ、夫との絆を今まで以上に感じるのだけど、だったら延江の存在は特に必要なかったような気もする。 この辺りがちょっと出来過ぎかなあ、と思った部分。 家族がバラバラになったことは残念、という感想が結構多いようだけど、別居することがバラバラになったことなのだろうか。 一緒に暮らさなくなったけれども、同居していた頃よりはるかに家族の心は繋がっているんじゃないかなあ。 もたれ合うのではなく、依存するのではなく、ひとりで立ち、家族が必要なときは支えられるだけの力を持つ。 家族は割り当てられた役割を演じる場所なのではなく、自分自身であるための基本であるべきだ。 そのための一つのケースを、村上龍が書いたのだと思う。
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