霧のむこうに住みたい の商品レビュー
霧のむこうに住みたい 須賀敦子 河出書房新社 さり気なく行き届いたおしゃれなのだろう 表紙にはシミの付いた壁とタイルの床に置かれた 古びた木のダイニングテーブルがあり カバーは霧に包まれた絵に入れ替えてある どれも装丁者によって選ばれた借り物の写真なのだろう 著作権とか特許と...
霧のむこうに住みたい 須賀敦子 河出書房新社 さり気なく行き届いたおしゃれなのだろう 表紙にはシミの付いた壁とタイルの床に置かれた 古びた木のダイニングテーブルがあり カバーは霧に包まれた絵に入れ替えてある どれも装丁者によって選ばれた借り物の写真なのだろう 著作権とか特許とか権利社会は兎角面倒だ 厳密に言えば生きながら環境という過去の利権で 埋められているようで お互いに三すくみに陥って動きが取れない愚かな社会だ 読み出してみるとどこかで読んだ覚えのある文ばかりで おかしいと思ったら 過去の文章からよりすぐったものらしい 自分で編集したのだろうか?
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20170725読了 2003年発行。著者はイタリア在住歴があり、日本文学の翻訳紹介に携わっている。●異国での印象的なワンシーンをこんなにすてきな文章で切り取れば、もう宝物みたいだ。ああでもそれはとても難しいことだってよくよく分かっている。わかっているからこそ、憧れる。
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一時期、須賀敦子の作品にはまっていたが、図書館でふと見たこの本は多分読んでいない。最初は、あそうそう須賀敦子ってこういう感じと思い出しながら。でもすぐに、彼女の見たイタリアの世界に気持ちが持っていかれる。 読めば穏やかな気分になれるエッセイ。
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仕事先で訪問した読書好きのMさんに「きっと好きだと思うわよ」と教えてもらってはじめて読んだ須賀敦子さん。お薦めの理由のひとつとして「文章が好き」なのだとか。なるほどなるほど。読んでみるとその場の情景や景色、匂いまでもががありありと感じられるし知的でありながらやさしい言葉遣いは、ど...
仕事先で訪問した読書好きのMさんに「きっと好きだと思うわよ」と教えてもらってはじめて読んだ須賀敦子さん。お薦めの理由のひとつとして「文章が好き」なのだとか。なるほどなるほど。読んでみるとその場の情景や景色、匂いまでもががありありと感じられるし知的でありながらやさしい言葉遣いは、どこかM さんご自身にも重なり合う。きっとこの先ずっと「須賀敦子」の名前を聞くたびに紹介してくださったMさんの凛としたたたずまいを思い出すのだろうな。 翻訳者としての作品にも興味が湧いた。
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「須賀敦子最後の…」と謳った本が何冊も出版されるのを正直興醒めと感じながら、それでもやはり手に取らずにいられないのは、須賀さんの文章に触れることが自分にとって大切でありつづけているからにちがいない。ぷっつりととぎれるような短いエッセイが多いが、投げ出されたようで、じわじわと沁み込...
「須賀敦子最後の…」と謳った本が何冊も出版されるのを正直興醒めと感じながら、それでもやはり手に取らずにいられないのは、須賀さんの文章に触れることが自分にとって大切でありつづけているからにちがいない。ぷっつりととぎれるような短いエッセイが多いが、投げ出されたようで、じわじわと沁み込んでくるような文章に触れると、自分の心が水分をとりもどすような気がする。とりわけ、<夜、駅ごとに待っている「時間」の断片を、夜行列車は丹念に拾い集めては、それらをひとつにつなぎあわせる>というイメージだとか、「芦屋のころ」のまるで不条理劇の一場面のようなイメージなど、優しいようで怖いようで、ちょっと忘れ難い。それでいながら、ナタリア・ギンズブルクについてのエッセイの中で、「宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だ」という友人の言葉をさしはさんだりして、ゆるやかにたわんでいた意識がはっと緊張させられたりする。このひとの言葉を、これからも私は折に触れて必要とするんだろうなと、また思わされる。
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須賀敦子の単行本未収録の作品を29編集めたもの。よくこんなに残っていたものだとあらためて感じたが、珠玉のという形容がぴったりくるような味わい深い作品が集められている。その構成は、イタリアの街と人をこよなく愛した著者らしく、ひと刷毛でさっと描いた淡彩画のような人物スケッチ、それに、...
須賀敦子の単行本未収録の作品を29編集めたもの。よくこんなに残っていたものだとあらためて感じたが、珠玉のという形容がぴったりくるような味わい深い作品が集められている。その構成は、イタリアの街と人をこよなく愛した著者らしく、ひと刷毛でさっと描いた淡彩画のような人物スケッチ、それに、イタリアの街について書かれたもの、そのいずれにもはいらないものの三つに分けられる。 なかでも、日本に帰った著者が、折にふれ思い出す回想のなかの人物を描いたものが、手慣れていてうまい。特に有名な人物でも、奇矯な人でもない、ごくごくありふれた市井の人物をその独特な落ち着いた筆致で描き出す筆の冴えは余人の追随を許さない。 その中で、人物編の最後に置かれたナタリア・ギンズブルグについて書かれた一編だけは他と比較して長いが、現代イタリア文学を代表する一人であり、著者はその作風にひかれるものがあって日本語訳をかって出ている。かつてはプルーストの翻訳家として知られた作家の思いがけない社会参加について著者は違和感を禁じられないらしい。めずらしく次のように述べている。 「ずっと以前、友人の修道士が、宗教家にとってこわい誘惑のひとつは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だと言っていたのを、私は思い出した。文学にとっても似たことが言えるのではないか。」 文学者も現代社会に生きる一人としてアクチャルな問題に関わってしかるべきだと思う。そのことに関して、多分著者に異論はあるまい。「すぐに」という部分が問題なのだ。『となり町の山車のように』の中に、次のような一節がある。 「思考、あるいは五官が感じていたことを、『線路に沿って』ひとまとめの文章につくりあげるまでには、地道な手習いが必要なことも、暗闇をいくつも通りぬけ、記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、燦々と光を放つものに仕立てあげなければならないことも、まだわからないで、わたしはあせってばかりいた。」 年へて、それを自分のものとし、その自分に近い感性を持った作家と感じていただけに、今起きている問題に対して、時を置かず意見を作品という形で発表するナタリアの態度に著者が異和を感じたのは理解できる。先の文につなげて、こうも書いている。「『線路に沿ってつなげる』という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。だが、同時にそれだけではいい物語は成立しない。いろいろな異質な要素を、となり町の山車のようにその中に招きいれて物語を人間化しなければならない。ヒトを引き合いにもってこなくてはならない。脱線というのではなくて、縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ。」 人が、今起きている問題について何かの意見を発表したり、行動を起こしたりする場合、当然そこには論理の縦糸が通っている。人間についての専門家である作家ならなおのことだ。ただ、そこに異質な要素、自分の領分ではない『となり町の山車」のような部分を招じ入れ、どこから見ても厚みのあるリアルな世界にしてから人前に差し出すのが作家の仕事だと、この遅くに出発したひとは、知ってしまっている。 「みなが店をばたばた閉めはじめる夜の街を、息せききって走りまわっている自分を想像することがある」と、作家は言うが、一日中訪ねても得られず、むなしく家に帰ろうとした夜の街で、こんなところにと思うような場所に一軒の店を見つけ、そこに探しあぐねていた品を見つけたときのような満足感がこの人の書くものを読んだ後にあるのもたしかだ。 相手の求めに応じて、幾分かは軽い調子で書いたものが間に挟まっているのもいい。そのむだのない選びぬかれた言葉が、原石を磨くような作業の果てにあるのだということを感じさせないことこそ何よりたいせつなことであろうから。
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大好きな須賀敦子さんの本の中で一番好き。 情景が目に浮かび、湿った匂いや夜の暗さまで共有した様な気にさせる。 「7年目のチーズ」の話が好き。「チーズ図鑑」でそのチーズの存在は知っていたので話の予想は出来たけれど、須賀さんの感情が生き生きと描かれていて、とても好きです。
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読点の打ち方が独特、そして絶妙な方だな、とおもう。 あとがきが江國香織で、須賀敦子訳の『ある家族の会話』が彼女にとって特別な一冊だということを知りなんだかうれしくなる。 言葉は、繋がっている。 装丁がうつくしい。
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1997年の9月24日のことだ。須賀敦子は割烹料理屋で会食しながら、「いままで自分の書いたなかで『霧のむこうに住みたい』がいちばん好きなきがする」と語った。 その翌日の雨の日、国立国際医療センターに二度目の入院をした彼女はそのまま退院することなく半年後に亡くなる。であるから...
1997年の9月24日のことだ。須賀敦子は割烹料理屋で会食しながら、「いままで自分の書いたなかで『霧のむこうに住みたい』がいちばん好きなきがする」と語った。 その翌日の雨の日、国立国際医療センターに二度目の入院をした彼女はそのまま退院することなく半年後に亡くなる。であるから、数多ある須賀敦子の名エッセイのうち、彼女自身が生涯でもっとも好んだ一文は、「霧のむこうに住みたい」なのだということになる。 『須賀敦子全集』第八巻には、極めて詳細に記された年譜が載っている。まるで文学部の学生が○○論を書くときのように、私はいまその年譜を参照しながら彼女の作品を繰り返し読んでいる。そもそもは、『ミラノ霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネチアの宿』、『トリエステの坂道』の随筆四部作とでもいうべき四冊を順繰りに読みかえしていた。というのは、「あの四冊は書けてよかった」と須賀さん自身が語っていた、と関川夏央が『ヴェネチアの宿』の解説で紹介していたのを読んだからだ。 さらに、文章自体を読むだけではなくて、巻末の「初出一覧」でそれぞれが書かれた年月を把握して、それがどういう時期に書かれたものなのか年譜を参照しながら考えてみる。そうすると、初めて見えてくることもあってまた味わいがある。 たとえば、本書に収められている「アスパラガスの記憶」はアスパラガスにまつわる回想を題材にしながら、義理の従妹であるアドリアーナの思い出を主役として描かれた一文である。ひとつの回想を軸に彼女が縁を持ったかの国の人びとの人情の機微を、日本語で読むこの国の私たちに、まるで直接見知った知人ででもあるかのように、手に取るように伝えてくれる。また、脇役として登場するアスパラガスを芦屋の家の庭に植えていた若い叔父とは、年譜によれば当時中学生だった保という叔父であることが解って、ははあんという気になったりもする。「初出一覧」は、この一文が明治屋の店頭配布用冊子「嗜好」に寄せられたものであることを教えてくれる。須賀敦子は、欧州産の野菜の缶詰などを扱う輸入食材問屋のリクエストに応じながら、こんな細やかな配慮に溢れる文章を綴ることのできたひとだったのである。 さて、「霧のむこうに住みたい」についてなのだが、年譜を追いながら彼女の生きた人生に重ね合わせてその一文を解釈してみる。そうすると、やはり見えてきてしまうものがある。それは、彼女自身は作品のなかで多くは語ろうとしなかったあることだ。彼女自身が語ろうとしなかったそのことを、彼女の作品を愛しているつもりの私は、やはり軽々に語ることはできない。気になる方は、私の言葉ではなくて、ご自身で読んでご覧になることをお勧めする。ここでは、「霧のむこうに住みたい」の締めくくりの部分を紹介するのに留めることにする。 地名の記憶も定かではない、イタリア中部のあまりにも荒涼とした霧の立ち込める峠の風景を回想した後に須賀敦子はこう書く。 「ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな景色のなかにひとり立っているかもしれない。ふと、そんな気がした。そこで待っていると、だれかが迎えに来てくれる」 その風景とは、私の貧弱な語彙であえて表現するならば、峻険な頂きにたつ粗末だが厳かなヨーロッパの修道院の背景のようであり、地獄を想わせる恐山の風景のようでもあるかもしれない。それを振り返ったあと、文の最後をこう結んでいる。 「心に残る荒れた風景のなかに、ときどき帰って住んでみるのも、わるくない」 これが、須賀敦子が1997年9月24日に「一番好きだ」と語った一文である。 須賀敦子が全作品を通じてそのことだけは書かなかった、あるいは書けなかったのかもしれないひとつのことがある、と私は思う。そのひとつのことを偲ばせる一文がもしあるとするならばこれかもしれない。私はそう思う。
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イタリアの、しかも雨でしっとりした風情が目に浮かぶ。 真夜中にひとりソファで読んだ。不思議と心も静まる。
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