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手にとるように犯罪学がわかる本 の商品レビュー

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2010/07/19

犯罪は決して楽しい話ではありません。誰にとっても、犯罪は不幸なできごとです。被害者ばかりではなく、加害者にとっても、さらにはその家族、地域社会、そして一般社会、国家にとっても不幸なできごとであることには変わりないのです。現に、いまこの瞬間にも、犯罪によって苦しんでいる多くの人々が...

犯罪は決して楽しい話ではありません。誰にとっても、犯罪は不幸なできごとです。被害者ばかりではなく、加害者にとっても、さらにはその家族、地域社会、そして一般社会、国家にとっても不幸なできごとであることには変わりないのです。現に、いまこの瞬間にも、犯罪によって苦しんでいる多くの人々がいることを忘れるべきではないからです。 しかも、残念ながら、人間社会では犯罪が絶えたことが歴史的にみて一度もありません。どの時代、どの社会にも犯罪はみられました。フランスの社会学者デュルケームは、「犯罪は社会にとって正常な現象である」と言ったほどです。これは社会学的には大きな意味がある洞察ですが、彼に犯罪被害者のことが念頭にあったかは確かではありません。そして、社会は犯罪との闘いのために、警察、検察、裁判所、刑務所、保護観察所といった組織を次々と作ってきました。 他方、当然ながら、多くの人々は犯罪がなぜ起こるのかに関心を寄せ、犯罪の少ない社会を夢見てこんにちに至っています。しかし、その夢は依然実現していませんし、逆に犯罪をゼロにしようとすれば、われわれの市民的自由も奪われて、ぎこちない社会になりかねません。現実的かつ良識的に考えるならば、犯罪の減少をはかりつつ、究極的には「快適な社会」をめざしていくべきでしょう。 19 世紀中葉、イタリアの医師ロンブローゾは犯罪原因の探求を続け、犯罪者は生まれながらにして犯罪者であるという「生来的犯罪者説」と呼ばれる、当時としては画期的な結論に至りました。彼は、実際に多くの犯罪者の頭蓋骨を丹念に調べ、犯罪者に特有の形状を発見し、この結論に達したのです。しかし現実の犯罪は、個人現象であるとともに社会現象あるいは国家現象でもあります。個人の病理、地域社会の弱体化、競争社会の病理、司法制度の不具合など、さまざまな要素・要因が混入しており、犯罪を一面だけからみると総合的な判断を誤ることになります。 前述のロンブローゾの説も、現在では否定されている論理です。ただし、この手法がまさに犯罪学としては初めて科学的であるとして、彼の名は犯罪学の歴史に刻まれました。その後、犯罪は種々の角度から検討され、法学ばかりでなく心理学、社会学、生物学、精神医学、遺伝学、教育学などが関心を示す学際的な領域になりつつあり、また評論家・小説家・政治家も発言し、多くの人たちの議論の場となっています。 ただし、ひとつここで留意しなければならないことは、犯罪学は科学的思考による研究を基礎としているのであって、単に有名事件の犯人を推理したり、復讐感情をあらわにしたり、政治的信条を吐露したりするのではなく、冷静冷徹な観察を行なうことを主眼としているということです。 本書はしたがって、必ずしも議論や意見をまとめるのではなく、犯罪に関心を示す人たちにひとつの視点あるいは資料を提供する趣旨から、犯罪に関わるさまざまな事項を取り上げ、解説を試みました。読者が読み進み、理解が深まれば、犯罪は複雑で、犯罪学は奥深いものであることを知ることでしょう。 本書の執筆にあたっては、若手の研究者を中心に組織されています。そのため、若干大胆な記述もみられるかもしれません。しかし、おおむね犯罪学の研究状況が示されていると思われます。いずれにせよ、本書によって犯罪、犯罪学への関心がさらにかき立てられれば、執筆者一同の本望とするところです。

Posted byブクログ