百人一首 の商品レビュー
百人一首を詩人が独自の解釈で読み直す。静岡新聞の連載コラムが書籍化された異色の百人一首論。 中学生の子供の正月の行事。百人一首を暗記して大会。映画「ちはやふる」のように、日本独自の風物詩として続く。子供の頃を思い出しつつ、本棚から積ん読本を取り出し少しづつ読み返してみた。 本...
百人一首を詩人が独自の解釈で読み直す。静岡新聞の連載コラムが書籍化された異色の百人一首論。 中学生の子供の正月の行事。百人一首を暗記して大会。映画「ちはやふる」のように、日本独自の風物詩として続く。子供の頃を思い出しつつ、本棚から積ん読本を取り出し少しづつ読み返してみた。 本書は、教科書的な内容よりも自らも詩人である筆者の独自の解釈のよう。そもそも基礎知識の欠落した自分にはちょっと難しかった。上中級者向け。 もっと勉強してから再挑戦したい。 でもどちらかというと技巧をこらした宮廷の歌より万葉集のおおらかさのが性に合うようにも思える。
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見開き2ページに歌と作者、そして意訳とその歌の背景や作者の生涯についてが書かれている。 この本の特色は、なんといっても意訳の部分。 教科書で習ったものとは多分全然違う解釈の歌が多い。 歌に詠まれているものだけを見てもわからない。 そこには恋愛模様だけではなく、歴史との対話あり、今現在の政争の顛末ありと、実にドロドロと人間臭いのだ、という。 それは、歌は詠んだ人のものでありながら、あとからそれを読んだ人の解釈を付け足して、どんどん膨らませていくものであるという著者の主張である。 世のなかはつねにもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも 鎌倉右大臣=源実朝の歌 “男女の仲にはじまって世は無常といわれるが、常凡の人情としてはやはり常に変わらずあってほしいもの。常の穏やかな日なら渚をゆっくり漕いで行く漁師の小舟が、今日は波が荒いからか、曳舟の曳綱に曳かれて行く。それをうち眺める自分とて、いつ運命の曳綱に曳かれないとも限らない無常の身だ。” これを実朝が本当に意味して詠んだとしたら、それはすご過ぎるだろう。 あくまでも彼の運命を知っている、のちの人の解釈に過ぎないとは思う。 それでも、頼朝は男子を二人ももうけて、孫も男子であったのに、結局あっという間に権力は妻の実家である北条氏に移る。 平氏を滅ぼした源氏の頭領の血は、受け継がれて行かなかったんだなあと、最近私もしみじみ思ったところだったので、なかなかにタイムリーな解釈でした。 あまたある和歌の中から100首を選ぶこと。 それだけでも大変な事業だと思うのに、この選集は歌の順番にも意味があるらしい。 天智天皇から始まり順徳院で終わる100首。 “かくして天智天皇に始まる王朝時代は終わり、武家政権時代が始まる。定家もその家も生き延びるためには時代の趨勢に従わざるをえず、公的な単独撰の『新勅撰和歌集』からは後鳥羽・順徳両院の御製は省かざるをえなかった。その償いとして両院御製で止めたアンダーグラウンドの王朝詞華集決定版が、私的な単独撰『小倉百人一首』だったのではないか。” 副題の恋する宮廷とは、恋情すら世渡りの手段であり、政治であるということ。 全然甘くない恋する宮廷。 西洋の貴族たちが恋愛の詩を作り始めるのは、これから数百年もあとのことなのだそうで、そう考えると、日本って昔から平和だったんだなあ。 何しろ平安時代だし。 戦争に明け暮れているときは、恋の歌などで世の中は渡っていけないのである。
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百人一首について、お勉強のために読む。 ひとつひとつの歌について、著者なりの丁寧な「読み」がされており、歌の解釈は本当に多種多様だな、と思った。 時には「うがちすぎでは?」と思うような読みもあったものの、表面的な読みだけではなく、当時の政治的背景を透かして見せたり、作者の生涯...
百人一首について、お勉強のために読む。 ひとつひとつの歌について、著者なりの丁寧な「読み」がされており、歌の解釈は本当に多種多様だな、と思った。 時には「うがちすぎでは?」と思うような読みもあったものの、表面的な読みだけではなく、当時の政治的背景を透かして見せたり、作者の生涯にしっくり照らしあわされていたりと、納得のいく読みも多かった。 私は小学生のとき、担任の先生によって百人一首を中途半端に覚えされられた生徒だったので、その時に暗記した歌ばかりが今でも印象深く残っており、それ以外の歌とどうしても愛着に深い差がある。 好きな歌はどれだろうと考えてみたところ思い浮かんだのは、 春すぎて夏来にけらし白妙のころもほすてふ天のかぐ山(持統天皇) わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人には告げよ蜑のつりぶね(参議篁) ちはやふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは(在原業平朝臣) 最初のほうの歌ばかりである・・・。 それと、これは蛇足だが、最近とある人から「春すぎて~」の歌を「あなたの名前の漢字から、この歌を連想した」と言われて嬉しかった。
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選者定家を第二の作者、自らを第三の作者とし、明治以降の海外の詩歌など多くの知見も援用して、 「後読み」によりこの詞花集を読み解いていこうというもの。 百首の現代語訳は、詞書や出典元の勅撰集の配列などを参照にした詳しく行き届いたもの。 個々の解釈では、詩人らしい深読みが多く、踏み...
選者定家を第二の作者、自らを第三の作者とし、明治以降の海外の詩歌など多くの知見も援用して、 「後読み」によりこの詞花集を読み解いていこうというもの。 百首の現代語訳は、詞書や出典元の勅撰集の配列などを参照にした詳しく行き届いたもの。 個々の解釈では、詩人らしい深読みが多く、踏み外しであってもまた興味深い。 業平『ちはやぶる』では「血やは降る」と読み替え、祖父平城上皇の寵姫藤原薬子の血と 政変の記憶が「からくれない」に込められているとし、 良暹『さびしさに』は優れた抽象詩・思想詩であり、比べれば西行・寂蓮・定家の「三夕の歌」 は書割のようだと評し、 基俊『契りおきし』は受け取った相手がじつに後味の悪い思いをするような人事の恨みで、 作者の屈折した性格がどことなく定家に似ているという指摘など… 帝王の恋歌が感応して五穀の豊穣を約束する(丸谷説に似ている)という考えから、 冒頭と掉尾それぞれに置かれた「帝王父子と二人の宮廷歌人」を通して全体の構成にも言及。 巻末の対談「王朝を葬送する」では、定家がいなければ、王朝は閉じず、その文学の位置が定まらないと。 『王朝全体を柩に入れて、蓋をした。自分も中に入って、内側から蓋を閉じて、殉死した』
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稀代のアンソロジスト定家、王朝を葬る。日本の詩歌の根本原理は恋にある。その詩歌を統べるのは天皇である。 「ものをつくる人間、表現する人間が中流意識なんか持ったらおしまいです。」
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