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科学の社会史(上) の商品レビュー

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戦争に科学の技術、知…

戦争に科学の技術、知識がどのように使われたのか。

文庫OFF

2009/10/04

中高時代、友達はだいたい理系のクラスの奴だった。文系の友人が多い今からすると個人主義的なやつが多かった印象がある。もちろん幼かったからというのはあるだろう。けど、実際に他人とは違うところを生かしたいという意識が今でも強い人が多い。このことは最適の仕事に自分を合わせるという発想とは...

中高時代、友達はだいたい理系のクラスの奴だった。文系の友人が多い今からすると個人主義的なやつが多かった印象がある。もちろん幼かったからというのはあるだろう。けど、実際に他人とは違うところを生かしたいという意識が今でも強い人が多い。このことは最適の仕事に自分を合わせるという発想とは両端にある。そして文系の友人はその傾向があって。うーん、暴論にすぎるか。 なにはともあれ理系の人間に個人主義が多いのは万人の認めるところだろう。しかし、この本は近代科学というものは戦争、そして全体主義が発達させてきたと説く。合理主義というものは誰にでも使える道具である以上、戦争であろうと、侵略であろうと合理主義の名の下に進めるのは可能である。そして合理主義こそが科学を発展させてきたのだし、科学そのものであると。 そうかもしれない。学ぶべきは自分の合理主義を解体することであり、誰がどういう意図で科学を用いているという発想そのものである。 なお、この本では明治時代の日本の科学が急速に発展したのは、同時期の西欧科学がちょうど発展段階にあったからだという説をとっている。それ以前の科学はサロン的、趣味的であったが、19世紀にはいって科学を支える制度自体が確立、合理化したと。社会との関連は興味深いが政治に限らず人間の意図というワイヤーが絡んでくると「なぜそのようなことをかんがえたのだろう」とすぐに袋小路に陥る。なぜぼくはこんなことを考えているのか、百文字以内でこたえよ!

Posted byブクログ