上田閑照集(第11巻) の商品レビュー
本書の第一論文「宗教とは何か」で、著者は「そもそも人間存在のうちから宗教と言われるあり方が成立してくる所以を、われわれが人間として「生きている」そのところで探求してみたい」と述べている。 著者は、私たちの「生きている」あり方を、三つのレヴェルに分けて考える。すなわち、生物学的な...
本書の第一論文「宗教とは何か」で、著者は「そもそも人間存在のうちから宗教と言われるあり方が成立してくる所以を、われわれが人間として「生きている」そのところで探求してみたい」と述べている。 著者は、私たちの「生きている」あり方を、三つのレヴェルに分けて考える。すなわち、生物学的な「生命」のレヴェル、人間的な「生」のレヴェル、そしてもっとも根源的なレヴェルである宗教的な「いのち」のレヴェルだ。シェーラーやポルトマンの哲学的人間学は、人間的な「生」が動物の「生命」とは異なるレヴェルの秩序をもっていることを明らかにした。 人間は、環境の内に埋没している動物とは異なり、みずからを取り巻く世界の内に主体的に意味連関を設定することができる。それによって、人間がその内に生きている世界に、緊密な統一が形成されることになる。だがそれは、人間的なレヴェルの世界が、限定的な世界だということにほかならない。人間が生きている世界は、主体である自己の「我性」によって意味的に統一されているのである。 だが、人間的な世界を統一している主体の「我性」が破られるとき、私たちは有限の世界を超えた「限りない開け」に包まれることになる。このような仕方で「人間的次元にもう一つの次元が開かれる」ことが、宗教にとって本質的な事態だと著者はいう。 本巻の第一部に収められた論文で、著者は上のような宗教の理解に基づいて、清沢満之、西田幾多郎、田辺元といった近代日本の哲学者による宗教哲学的考察を検討し、それぞれが宗教にとって本質的な事態をどのような仕方で把握していたのかを解明している。 第二部には、宗教と非宗教のはざまに生きた夏目漱石、種田山頭火、尾崎放哉の境涯を論じた論考や、宗教を主題とするエッセイが収録されている。
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