釈迦 の商品レビュー
人は人を通して自分を見つけ、そして進んでいくのだと思いました。 何百年も続く教えは、最終的に言いたいことはどれも一つのことを指している気がします。その、一つのことをいろいろな言葉で表し、伝えているのが宗教というそんざいなのかな、と。 この作品は、一人の偉大な師、釈迦の傍で仕え、...
人は人を通して自分を見つけ、そして進んでいくのだと思いました。 何百年も続く教えは、最終的に言いたいことはどれも一つのことを指している気がします。その、一つのことをいろいろな言葉で表し、伝えているのが宗教というそんざいなのかな、と。 この作品は、一人の偉大な師、釈迦の傍で仕え、その生きざまを通じて己の修行を成した一人の弟子のお話でもあります。その生き方あり方を、どう捉えて、表現していくのか。読み手がどう解釈して腑に落としていくのか。 瀬戸内寂聴先生の言葉の選び方はとてもきれいで、とても苦しいです。 繰り返し読みたい作品です。でも、読み込もうとするととても苦しい作品です。
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人生は流転する。何事も一刻として同じところに留まりはしないのだということや、出会いには別れが必ずあるのだということ。それは変えられない。そう悟ることは、遥かに難しい。やはり、別れとは引き裂かれる痛みであり、悲しみ。平静ではいられない。それを受け入れるのは相当な悲壮な覚悟がいるも...
人生は流転する。何事も一刻として同じところに留まりはしないのだということや、出会いには別れが必ずあるのだということ。それは変えられない。そう悟ることは、遥かに難しい。やはり、別れとは引き裂かれる痛みであり、悲しみ。平静ではいられない。それを受け入れるのは相当な悲壮な覚悟がいるものだ。と、思う。 人間の一生というものは常に死に向かって進んでいる。誰もが生まれたその瞬間から死ぬ為に生きている。生きるとはー。死とはー。皆が自問し、答えを探し求め日々を過ごしている。死のその瞬間、そしてその後、人は答えを得るのだと思う。そう信じていれば、悟ることなく死を迎えても恐れなどない。恐れるという感情は全く無意味だから。 欲望には幾ばくかの快楽があり、人々はそれを追い求める。けれど欲望には数知れない失望、絶望がつきまとい、人々を悲しみで塗りつぶす。世尊はそれ故、欲望を捨て無我に生きることを説き、人々を悲しみから救い出し幸福を与えることを使命としていた。けれど世尊の、 この世は美しい 人の命は甘美なものだ という言葉は、必ずしも阿羅漢の域に達した者ばかりを指すのではないだろうと思う。むしろその欲望を捨てきれないで苦しんでいるこの世界すべてを包み込んで言っているのだと思う。 それならば私は、煩悩から逃れきれない人間は、欲望と共に生き、僅かな喜びを至上の光とし、数々の悲しみを受け入れて生きていこうと思う。いくら悲しみに押しつぶされても、再び新たな悲しみと対峙する魂であり続けよう。
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釈迦様のすべてが知りたいと思い購入しました。 中身は小説で、釈迦様の周りの人物のことから釈迦様が描かれています。 まったく仏教について分からなかった私にとっては、最初は苦労しましたが、本を読み続けるという悟りを開けたことが何よりもこの本に感謝です。
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語り手はシャカの侍者として25年仕え続ける仏弟子アーナンダ。 シャカの死の気配が濃厚になっていく中で、過去を想起したり、死を間近に控えながらもアーナンダを労るシャカの言葉に感動したりしながら、物思いに耽るアーナンダの独白といえるかもしれない。 途中、死んだ女性たちがアーナンダや...
語り手はシャカの侍者として25年仕え続ける仏弟子アーナンダ。 シャカの死の気配が濃厚になっていく中で、過去を想起したり、死を間近に控えながらもアーナンダを労るシャカの言葉に感動したりしながら、物思いに耽るアーナンダの独白といえるかもしれない。 途中、死んだ女性たちがアーナンダやシャカに語りかけるという章もある。 シャカが生きている内ですら受難する仏弟子たち。 修行しても阿羅漢に達することの出来ない者の焦り。 その者たちを死の間際に於いてすら救おうとし続けたシャカは、「聖者・賢者」かもしれないが、一方で「人」の生き方の一つであったとも言えるのではないか。 聖人しか歩めない道というものもあろうが、聖人も「人」であったと教えてくれる作品であった。
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“ブッダって???” “全然知らない” “ってゆうか興味ない” どんな方にも、この瀬戸内寂聴さんの文章なら、分かりやすく、一小説としてオススメです。
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