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東京の忘れもの の商品レビュー

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2013/03/10

スケッチという技法が好きだ。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』や、W・アーヴィングの『スケッチ・ブック』などは、内容よりその題名に惹かれる。丹念に時間をかけ、全体を見据えた上で構築された作品よりも、ふと目にした物をさりげなく書きとめたといったものに心惹かれる。首尾結構が整い、どこにも...

スケッチという技法が好きだ。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』や、W・アーヴィングの『スケッチ・ブック』などは、内容よりその題名に惹かれる。丹念に時間をかけ、全体を見据えた上で構築された作品よりも、ふと目にした物をさりげなく書きとめたといったものに心惹かれる。首尾結構が整い、どこにも隙がない完成品は、居ずまいを正して向きあうことを要求されているような気がして億劫だが、スケッチにはそれがない。何気ない線の強弱や色彩の濃淡に作者の息づかいが読みとれるのも楽しいものだ。 『東京の忘れもの』の中には、1950年代の東京の風景が、二人の目と手を通して丹念に記録されている。多くは、ペンや鉛筆によるスケッチに淡彩を施したもので、焦土に建つバラックや、長屋などの木造住宅、横町の盛り場、芸者置屋や鰻屋の店内、張り紙や看板等が、書かれている文字や値段まで克明に写されている。「生活で当たり前に使うものこそ消えていくんです。当たり前のものは誰も残そうとしないから。だから、時間がたてばなくなっていくだろうなと思ったものや風景は、スケッチに残しておかなくちゃと思いました。」与四郎の言葉である。 村木与四郎という名前は、映画好きなら黒澤映画の美術監督として、何度も目にしたことのある名だろう。黒澤明のリアリズムに対するこだわりは夙に有名だが、画家を志したこともある黒澤が美術を重視したのは当然である。「神は細部に宿る」という言葉がある。家の壁板の幅、飲み屋の品書き一つにも時代が出る。村木与四郎が、妻の忍と書き溜めたスケッチは、その初期から最後の作品に至るまで黒澤の映画美術を支えてきた。 それにしても、何とも心に沁みる風景である。焼け跡と言えば、黒澤にとっては関東大震災のそれであり、村木にとっては戦後のそれで、微妙に食い違ったというエピソードが語られているが、焼け跡は別にしても、トタン屋根のバラックや、手押しポンプ。下見張りの板壁に被われた木造家屋の上の物干し台、荷物を運ぶ船を浮かべた川沿いの風景と、東京に限らない戦後まもなくの日本の風景がそこかしこに息づいている。 古い日本映画を見ていて、そこに映し出される日本の町や村の風景の佇まいに胸うたれるような傷みにも似た憧憬を感じてしまうことがある。懐旧の念ではない。画面に映し出される風景の中にある不思議な明るさが心に響くのである。そこでは人と風景が互いに繋がれていて過不足がない。翻って現代はどうか。情報や物は溢れていながら、人々は互いに孤立し、世界とは自分たちの手のとどかないところにあるもののような気がしている。自分と地続きのところにある世界を感じさせる風景は例え貧しくとも底抜けに明るい。長い滑り台に乗っているような今の日本だが底の底まで落ちないと、あの明るさには出会えないのだろうか。

Posted byブクログ