尾崎翠と花田清輝 の商品レビュー
2002年刊。尾崎翠、花田清輝の二人の作品に親縁性を読み取る著者が、ユーモアの精神とパロディの論理という視座から論じたもの。 花田清輝については何の知見も持っていなかったが、花田清輝という作家に顕著なパロディの論理とその実践が、デコンストラクションの戦略と近似しその先取りであった...
2002年刊。尾崎翠、花田清輝の二人の作品に親縁性を読み取る著者が、ユーモアの精神とパロディの論理という視座から論じたもの。 花田清輝については何の知見も持っていなかったが、花田清輝という作家に顕著なパロディの論理とその実践が、デコンストラクションの戦略と近似しその先取りであったと論じ、その作品の魅力と今日性が存分に伝わってきた。 尾崎翠を論じた章では、執筆時点での諸論に目を配りその成果をよく汲み上げていると思われた。ただ、少々花田清輝の圏域に引き寄せ過ぎているように感じられ、「ユーモアこそメランコリーにブレーキをかけ、ともすれば内部に閉塞しがちな人間の精神を外部に向かって晴れやかに解放するものであり、ナルシシズムやセンチメンタリズムの対極にある尾崎の作品の特徴をなすといっていい」「彼女のユーモアとパロディは、メランコリーを脱構築する積極的な役割を担うだけでなく、誰しも潜在的にもつ自己愛への防波堤となり、読者の感情移入をも拒絶する異化効果を発揮しているのだ」というような記述は、尾崎翠作品を妙に狭苦しくしてしまっているように感じる。ナルシシズムは置いておくとして、自分は叙情性や感傷性、ノスタルジーといったものに引き付けられる性向であるが、尾崎翠の作品はユーモアと技巧性と感傷性、といって聞こえが悪ければ哀感と言い替えることにするが、それらが巧みに織り込まれた織物(テクスト)であると感じ、そこに大きく魅了されているのだが。
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