日本仏教曼荼羅 の商品レビュー
ずっと以前のことである。出張でビジネスホテルに泊まった際、生憎手持ちの本がなく、備え付けの和英対訳の仏典を読んで無聊を慰めたことがあった。ところが、これが案に相違して面白く、結局最後まで読み通してしまったのだ。人は何故生きているのか、どう生きていけばいいのかというふだんから漠然と...
ずっと以前のことである。出張でビジネスホテルに泊まった際、生憎手持ちの本がなく、備え付けの和英対訳の仏典を読んで無聊を慰めたことがあった。ところが、これが案に相違して面白く、結局最後まで読み通してしまったのだ。人は何故生きているのか、どう生きていけばいいのかというふだんから漠然と感じていた疑問についての極めて実践的な思索の跡がそこに示されていた。 浄土宗の寺の檀家に育ち、小さい頃から花祭りや百万遍等の行事を通じて親しんできたお寺では、知っての通り「南無阿弥陀仏」と唱える。ひたすら名号を唱え一心に阿弥陀仏を念じることで西方浄土におられる阿弥陀仏の膝元に生まれ変われるという専修念仏の信仰はある意味単純なもので子どもにも理解できるものではあったが、あらためて知った仏陀その人の思考とのあまりのちがいに驚かされた。同時にインドから中国経由で渡来した仏教が、時代や日本の風土の中でいかに形を変えていったのかということにも興味が湧いた。 それ以前から、仏像彫刻に惹かれるものがあり、機会があるごとに奈良や京都に出かけては寺や美術館で仏像を観ることを楽しみにしてきた。寺僧の説教や解説書等を通じて仏像の示す身振りや持ち物の意味がわかってくると、なおいっそう興味が増した。しかし、一口に仏像彫刻といっても、本来インドの神であったが仏教に帰依し、今は仏教の守護神となった天部その他の諸神を含めればその種類は無数といってよい。これらを初心者にもよく分かるように分類整理し解説してくれる書物はないものかと長年探し求めていた。 待つこと久し、ベルナール・フランクの『日本仏教曼荼羅』が出た。図像学(イコノグラフィー)という学問がある。主にキリスト教美術を中心とする美術作品の意味・内容に関する研究・学問を指すが、その研究方法を仏教美術に適用し、日本仏教の多数の神仏像を読み解いたものが、この書物である。特徴的なのは、帝釈天や毘沙門天、妙見菩薩、愛染明王とあまり主役になることの少ない諸尊を詳しく解説することで、曼荼羅の言葉通り数多の神仏が集う仏教世界の多様性が浮き彫りにされていることである。 訳者あとがきでフェルナン・ブローデルとの関係について触れられているが、日本中の寺を歩いて仏像の絵札を探し求める著者の方法は、これまであまり取り上げられることのなかった民衆の生活に目を向けたアナール派の歴史学にも似て、文献だけを資料にした学者の書く物とは一線を画す。日本という国の中に空気のように浸透している仏教のイコンを再発見していく件やギメ美術館所蔵の彫刻が法隆寺の失われた勢至菩薩であることを発見する件など、推理小説を読んでいるような興奮を味あわせてくれる。 序文がまた素晴らしい。長年に渡る論文その他を編集したものであるため、聊か統一感を欠く憾みもある本書に蔵された価値をみごとな手捌きで示してみせるその書き手は誰あろう、あのクロード・レヴィ=ストロースである。「国中を廻り、寺々を探訪し、信者たちに頒布される製造の絵の中に忘れられたシンボルを解明し、哲学と同様に民衆の文献にも関心を持って収集し、フランクは読者を実に興味深い、そして意外性に充ちた知的冒険に引き込んで行く。」この稀に見る碩学に対する敬慕の念に溢れた懇切丁寧な序文を読んだ後では、書評など書けるものではない。本文は愛妻の手になる親しみやすい日本語であることだけ付け加えておく。
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