塵よりよみがえり の商品レビュー
ファンタジー。SF。ホラー。 〈一族〉のシリーズもの?短編集に収録されたシリーズ作品の長編リメイク? 『火星年代記』もそうだったが、長編というより連作短編集っぽい。 全体としては物足りないが、セシーが活躍する章は面白い。五章「さまよう魔女」、十章「十月の西」など。
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ファミリーもの。 こういうほの暗い世界は、この作家の味だなぁ。 好きになると、たまらない気がする。
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高校時代、SFに詳しい友人がいて、すすめられるままに読み始めた中に、一人毛色の変わった作品を書く作家がいた。その頃のSFといえば、宇宙を舞台にした科学的な未来世界を描いたものが多い中にあって、屋根裏部屋や地下室に棲む人とも幽霊ともつかぬうから族のことをまるで自分の身内のことを話す...
高校時代、SFに詳しい友人がいて、すすめられるままに読み始めた中に、一人毛色の変わった作品を書く作家がいた。その頃のSFといえば、宇宙を舞台にした科学的な未来世界を描いたものが多い中にあって、屋根裏部屋や地下室に棲む人とも幽霊ともつかぬうから族のことをまるで自分の身内のことを話すような親しげな筆致で描いた短編のいくつかは不思議にこちらの胸に響いてきた。それが、SFの抒情詩人と呼ばれたブラッドベリとの最初の出会いだった。 当時はSF作家に分類されていたが、ミステリも書けば、ファンタジーも、ホラーも書けるブラッドベリは、これらの分野の始祖E・A・ポオの衣鉢を継ぐ正真正銘の後継者であるといえるだろう。そうは言っても当然、その持ち味はちがう。ゴシック・ロマンスを脱構築したポオの作品が、「早すぎた埋葬」を通奏低音に持つ死と恐怖の色濃い「グロテスクのアラベスク」だとしたら、同じ怪奇と幻想を描きながらもレイのそれは、朝露を帯びた丘の夜明け前の大気の記憶を憧憬する死から放擲された一族の悲哀に満ちた吐息のような作品群である。 『塵よりよみがえり』は、レイの所謂「エリオット一族」物の集大成で、最初の構想は1945年に始まり、2000年にようやく完結した。その間55年、なんという超大作かと思うだろうが、何のことはない200ページほどのそれもほとんどが短編を集めたものである。次々と湧き出てくるアイデアや饒舌すぎるほどの引用、絢爛たる比喩、奔騰する語りの文体は、長編向きではない。ポオに似て、本質的に短編作家であるレイが、一族の物語を書くために採用した変則的なスタイルは、すでにアンソロジーに収録されたいくつかの短編を、短い、時には散文詩かとも思えるテキストで各篇をつなぎ、序章と最後の一編を添えてまとめたものである。 主人公の少年ティモシーは、魔物や幽霊が棲みつく館の前に捨てられていた館で唯一人の人間である。館には四千年前のファラオの娘のミイラである「ひいが千回つくおばあちゃん」や、眠りを通してあらゆるものの中に心を飛ばすことのできるシシー、それにハロウィンが来るとやってくる緑の翼を生やしたアイナ―おじさんなど、魅力的な人物(魔物)が溢れている。北イリノイの丘の上に立つ古ぼけた館に棲む一族と、ハロウィンの夜に集まってくる世界中に散らばった眷属の、「創世と没落、冒険と災難、愛と悲しみ」を描いたのが、この物語である。 エリオット家の一族は、作者の一族をモデルにしているとあとがきにある。ブラッドベリに色濃い幼年回帰志向がここでも物語の基調となっている。極度に感受性の強い子どもだったろう少年時代のレイが、自分一人が一族の者とは違う存在だと感じていた違和感が、家族や一族を魅惑的な愛すべき魔物として描き出させたのだろう。一族の没落とそれに寄せる作者の愛情は一読後強く胸を打つ。喪われて二度と再び戻らないものながら、自分の中にいつまでも残る原風景を描いた、これは極めて変わった形のしかし哀切な美しさを纏った年代記である。 表紙の絵は故チャールズ・アダムズ。海辺の丘に立つ館に集まって来る魔物たちの絵がブラッドベリの世界と絶妙のコラボレーションをなしている。ただ、タイトルまで控えめにして原画を生かしておきながら、バー・コードで折角の絵を隠しているのが解せない。可惜の憾が残る。
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難しくはないんだけど、翻訳のSFって読みづらくて・・・ 全然進まなかった。内容はきっと面白いんだろうけど。
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筆者が亡くなったのを、ネットで知って『たんぽぽのお酒』と ほか数冊しか読んだことがなく『火星年代記』を読みたくて書店に急行。 一軒目の書店「代表作を切らしていて、すいません。もう少ししたら追悼フェアすると思います。そのとき入荷すると思います」 二軒目の大型書店「ブラッド・・?...
筆者が亡くなったのを、ネットで知って『たんぽぽのお酒』と ほか数冊しか読んだことがなく『火星年代記』を読みたくて書店に急行。 一軒目の書店「代表作を切らしていて、すいません。もう少ししたら追悼フェアすると思います。そのとき入荷すると思います」 二軒目の大型書店「ブラッド・・?」と、若い書店員。 レイ・ブラッドベリが亡くなっても、ウワーと思わない人もいるんだ、と思うと 気持ちがしぼんた。 結局、こちらの本を買って帰宅。 また出直す。
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最初はすごいわくわくするようなファンタジーだったんだけど、結局は少し哀しかった。 でも、あのジョン悪逆王の登場とかあまりに唐突過ぎてどうだろう? キャラはいいからもっと壮大にいろいろできそうだったのになぁと。 もう少し長編にしてもいいからいろいろやってほしかったです
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ブラッドベリ風のアダムスファミリーといった感じ。 こうゆう人在らざる者を描く事によって死という概念を広げて見れるのかなと思う。
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タイトルの邦訳もいい。原題は「From the Dust Returned」。Dust to dust Ash to ash. という言葉を自然に思い出す。 ブラッドベリの名作「10月は黄昏の国」(これもいい邦題だ)の世界だ。この作品は英語を習い始めた頃、原文を訳しながら読んで楽...
タイトルの邦訳もいい。原題は「From the Dust Returned」。Dust to dust Ash to ash. という言葉を自然に思い出す。 ブラッドベリの名作「10月は黄昏の国」(これもいい邦題だ)の世界だ。この作品は英語を習い始めた頃、原文を訳しながら読んで楽しんだ記憶がある。もちろん、邦訳も持っていたからできたのだろうけれど。 そんな懐かしさもあって、個人的にはとっても好きな世界だ。 物語の構造が現実のブラッドベリの世界ときちんと重ね合わせられるのが彼の作品を読んできた読者からすると嬉しい。登場人物のティモシーがブラッドベリ本人だ。季節はハロウィンで、他の登場人物はブラッドベリの親戚。そして、ネフと呼ばれる最古の親戚という存在はブラッドベリの作品そのものだ。彼は自分の周囲の出来事を置き換えるようにしてこうした物語を書き続けてきた。この作品はそれが特に強く感じられる。 物語の筋が素晴らしいというのではなく、誰もが懐かしいと感じる世界の姿を描いたもの。 子どもの頃、遊び相手が森や川だった私にとっては馴染みの深い世界でもある。そして、幽霊やお化けは誰かがあると信じ、出会う限りに置いて、命を持っている、という事実がある。だいぶ違うようでいて、ここで描かれている世界は京極堂の世界とつながった世界でもある。 またブラッドベリの古い作品を読み返してみようかな、本当に久しぶりだけれど。
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『10月はたそがれの国』に収められている二つの短編を膨らませて長編に仕立てた一品。私としては改筆はちょっといただけん。
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