芸術カウンセリング の商品レビュー
芸術カウンセリングの外枠と実用を学ぶには本著はかなり優れていると思われる。ただ、題材がコラージュと風景構成法メインになってしまっているあたりで、求めているものと違うという人はいるのだろうけれども、ただ、逆にそこに一貫性が見られるために(あれもこれやというわけではないために)、一定...
芸術カウンセリングの外枠と実用を学ぶには本著はかなり優れていると思われる。ただ、題材がコラージュと風景構成法メインになってしまっているあたりで、求めているものと違うという人はいるのだろうけれども、ただ、逆にそこに一貫性が見られるために(あれもこれやというわけではないために)、一定のイメージをつかむことに役立つと思われる。コラージュにはいくつか手法があり、治療者があらかじめ材料を準備しておくときと、雑誌をぽーんとおいておいてそこから好きなものを切り取っては用いる場合とがある。ちなみにコラージュ療法には、例えば、一人でやってもらうもの、治療者と二人で交互にやるもの、母子でやるようなもの、父やその他の兄弟姉妹が混ざるようなもの、などが見られる。家族でやってもらうものは、家族療法の一環とも言えるし、治療者と一緒にやるものに関しては、作品が二人の間に入ることで、治療者への転移を起こしにくくなるというメリットもある。基本的に著者は問題を家族力動で捉えようとしている。それは著者が扱う対象が中学生前後に多いからでもあろう。中学生前後の児童が問題を起こす場合には、多くが家族が持っている問題があり、それがその児童をIPとして症状として現れてしまっているということが多いように思うし、それは経験的な事実でもあるのだろう。だから、著者はコラージュや風景構成法を通して、個人的な自我や無意識を観察する共に、家族力動もそこから読み取ろうとするのである。著者はクライエントを立ち直らせるためもあって、~のためにそういう症状を出すしかなかったといような言い方をしているが、それは必ずしもそうではないだろうと個人的には思っている。いや、それだけで説明は終えられないといった方がいいだろうか?そのあたりは疑問である。誰も彼もIPにはかなり好意的というほうがそういふうな解釈を与えていたりするのだけれど、しかしそれだけで終わらせてしまっては甘やかしているだけになってしまいはしないだろうか?ただ、最終的に原因を帰した方が、それも追究する形でなく帰した方が、終結と今後の展望は得やすいのかもしれないが。とりあえず、著者がコラージュや風景構成から解釈をする際のキーファクターはコラージュの場合は象徴性、風景構成法の場合は構成性から、自我の強度を捉えるということが一つ。後は両者とも有機性のようなところから家族とのつながりを捉える、これは象徴性もそうなのだろうけれども。そして、問題の原因となっている人物の、風景構成法やコラージュ法の作品から、更に探るといった具合だろうか?
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