フェルメールの音 の商品レビュー
音楽を聞いたときに得るイメージというのは、ひとりひとりぜんぜん違う。当たり前のようだけど普段はわりと忘れている。特に名曲の誉れ高い誰もが知っている曲になればなるほど、隣の人が今自分と全く同じ感動を味わっていると錯覚してしまいがちだけれど、その感動はもう絶対に違う感動だ。共通のイメ...
音楽を聞いたときに得るイメージというのは、ひとりひとりぜんぜん違う。当たり前のようだけど普段はわりと忘れている。特に名曲の誉れ高い誰もが知っている曲になればなるほど、隣の人が今自分と全く同じ感動を味わっていると錯覚してしまいがちだけれど、その感動はもう絶対に違う感動だ。共通のイメージとして語られる森の音だとか天上の声だとか、そんなものを隣の誰かと共有できる訳がないのだ。 と、思いつつもやはりどこかに万人に共通のイメージみたいなものがどうやらあって、多少の違いはあっても最大公約数みたいにそれぞれの音楽が語られる。この本の文章は非常に美しいので、自分までこんなイメージしてたんだよ~と引きずられてしまうことにちょっと注意が必要。 「アトム・ハーツ・クラブ」の項を読んで、亡くなった父の携帯の着信メロディがアトム・ハーツ・マザーという曲であったことを唐突に思い出した。携帯を買い替えたばかりで私が代わりに着信メロディをダウンロードした。そのときに本人から探すよう頼まれたのがこの曲だった。 父が何を思ってこの曲を選んだのか、どのようなイメージを持って聞いていたのかはもう分からない。そのときに「訳の分からない曲だ」と思って聞いていた私自身のイメージも二度と分からなくなってしまった。次に聴いたときにはきっと、梅津さんの言葉に影響されて無限感とか文明が大爆発したあとの青空をイメージするんだろう。 音楽のイメージというのは本当に儚い。
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この人はなんて優しい文章を書くのだろう。 こんなにきれいな涙を流したのはいつ以来だろうか。 本屋に立ち寄った帰りの電車で、何度も涙したことを今でも覚えている。それは読んだそばから「わっ」とくるような涙とは違う。ずっとずっと涙の予感なんてしなかったのに、最後の一文を読んだ瞬間、「...
この人はなんて優しい文章を書くのだろう。 こんなにきれいな涙を流したのはいつ以来だろうか。 本屋に立ち寄った帰りの電車で、何度も涙したことを今でも覚えている。それは読んだそばから「わっ」とくるような涙とは違う。ずっとずっと涙の予感なんてしなかったのに、最後の一文を読んだ瞬間、「じわり」ときてしまうのだ。 出版されてから 10 年近くになるが、何度となく読み返している書籍。
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「雑踏にまぎれこむと、ふと、あてもなく、人を探し求める気持ちになる」「何かの花が咲きこぼれるように、音楽のなかから感情が舞い落ちてくることがある」梅津時比古氏の文章は美文のお手本のようだ。毎日新聞に掲載された音楽コラムをまとめたもので、「天から音が舞い降りてくるとき」に続く。
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ジュンク堂でもジャンルを間違われてたけど、絵画の本ではなく、音楽の本だ。 共鳴しあう言葉がドキドキするくらい透明で繊細。よく出来た硝子細工の言葉の集合体だと思う。 言葉が波紋みたいに薄く広がって、別の波紋にぶつかって響くような、そんな言葉遣い。
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フェルメールという言葉に惹かれて手に取った。実際は音楽評論に分類されるのかな?兎に角、フェルメールの絵に関することではなく、クラシックについてのコラムをまとめたものである。 綺麗な日本語とはこのことだと思った。クラシックを全く知らない人には何を言ってるのか分からなく理解し難いと思...
フェルメールという言葉に惹かれて手に取った。実際は音楽評論に分類されるのかな?兎に角、フェルメールの絵に関することではなく、クラシックについてのコラムをまとめたものである。 綺麗な日本語とはこのことだと思った。クラシックを全く知らない人には何を言ってるのか分からなく理解し難いと思う。私自身もクラシックに精通している訳ではないが、それでも梅津さんが書かれる文章は読んでみる価値がある。文章自体が生きているのだ。 言葉にできない曖昧な気持ちを、さりげなく過不足なく表現してある。そう、それが言いたかったの!と思えることが。本当にすごいとしか言いようがない。まるで音楽のように流れていく心地よい言葉たち。私の拙い文章力ではこの感動を素晴しさを表現できないのだが、こんなにただ美しい日本語を書く人を私は知らない。
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