「非行」は語る の商品レビュー
様々な精神医学用語を紹介しながら事例をあげていたこの本は、新鮮だったし、とても興味深かった。 それにしても「~性人格障害」と名前のつくものが多いなと思った。これからさらに増えていって、そのうち、全人間に「~性人格障害」と名前がつくのではないか!と思ってしまうくらい。
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雑誌「精神療法」の非行特集における論文のなかで、非行と発達障害を合わせて論じていたのは、元家裁調査官、藤川洋子だけだった。 曰く、「反省が求められるなかにあって、反省の顔ができない、つまり反省を表現できない子らがいる」、これを発達障害とむすびつけた。 司法は非行触法少年らに...
雑誌「精神療法」の非行特集における論文のなかで、非行と発達障害を合わせて論じていたのは、元家裁調査官、藤川洋子だけだった。 曰く、「反省が求められるなかにあって、反省の顔ができない、つまり反省を表現できない子らがいる」、これを発達障害とむすびつけた。 司法は非行触法少年らに、まず、「反省」を求めるが、藤川の論は、「反省か処遇か選べといわれたら、まず処遇」。反省が苦手な子に、いくら反省を求めても改善は望めない。それより、適切な衣食住環境を与える方が先であるとし、さまざまな成功症例を掲げていた。 うーん、なるほど。と思ったのは、むすこもまた、発達障害をずっと疑うしかない規格はずれであるからだ。しかしこれを、「特性」もっといえば、「個性」であると親がなっとくするまでには、ずいぶん長い時間を要することになるわけで。 藤川から、わたしの非行読書の旅がはじまったといっても言いすぎではなく、ほぼすべての著作を読み、その後もさまざま本の旅をつづけているのだけど、いま現時点、藤川をどう思うかといえば、「非行と発達障害をむすびつけるものは、実のところ、ほとんどないのでは?」という考えにいたっている。 問題行動の子をかかえる親にとって、「発達障害」という切り口はある意味、希望と慰めである。そうすれば、オチがつくからだ。 でも、そんなオチは結局、自己愛にすぎず、子の尊厳を認めない以上、親子関係もよくなりようがないだろうってことなのだ。 子を、条件つきの愛でしばってはならない。 いまのわたしはこう思うが、かつて藤川によってどれほど救われたかわからない、とても感謝する一冊。
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家裁調査官の著者が経験した事例を出しながら、ADHDなどの障害の説明や非行少年の背景を説明している。 同情を誘うような文体ではないことに好感が持てた。
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