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天才建築家ブルネレスキ の商品レビュー

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2件のお客様レビュー

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2014/02/19

面白かった。 前もって読んだ、同じ著者の「謎の蔵書票」がミステリーだったのに対し、 純粋な伝記と言うか、歴史書だった。 そして、うってかわった読みやすさ。 正直、フィレンツェでドゥモを見たときは、 華やかできれいだなーとは思ったものの、 そんなに長年にわたり苦労を重ねられた、 ...

面白かった。 前もって読んだ、同じ著者の「謎の蔵書票」がミステリーだったのに対し、 純粋な伝記と言うか、歴史書だった。 そして、うってかわった読みやすさ。 正直、フィレンツェでドゥモを見たときは、 華やかできれいだなーとは思ったものの、 そんなに長年にわたり苦労を重ねられた、 難しい建築物という認識はなかった。 この本を読んでから、 フィレンツェを訪れる人は幸いかな。 私も、是非もう一度、 フィレンツェを、ドゥモを、訪れてみたい。

Posted byブクログ

2013/03/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

赤褐色をした甍の波の中に一際高く聳えるサンタ・マリア・デル・フィオーレのクーポラ(円屋根)はフィレンツェの街のランドマークである。ルネッサンスを特集したTV番組やイタリア旅行のパンフレットなどには必ずと言っていいほど登場しているので、フィレンツェを訪ねたことがない人でも一度くらいは目にしているはずだ。しかし、この有名なクーポラがローマのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラよりも、イスタンブルのハギヤ・ソフィアよりも大きく、石造のドーム建築としては世界最大であることを何人の人が知っているだろうか。実は私もこの本を読むまで知らなかった。 建物が大きければ造るのに難しさが増すのは道理だろう。13世紀に模型が作られながら15世紀に至ってもいっこうに完成しなかったのは、どうやったらそれ程大きなクーポラを造れるのか誰も分からなかったからだ。問題点はいくつかあった。ミラノにあるドゥオモのようなゴシック建築ではドームの重さを支える方法としてフライング・バットレス【主屋の壁を横から支えるため、バットレスに渡した弓形の梁・飛梁】を採用している。ところが設計者であるフィオラヴァンティをはじめ、イタリア人はフライング・バットレスを「醜悪で野暮ったい非常手段」と考えており、宿敵ミラノの建築を否定するためにもここは飛梁に頼らないでドームを造りたかった。これが第一の関門である。 さらに、建築中のアーチを支えるために使われる迫枠(せりわく)の問題があった。完全な正円形のドームなら「個々の石材やれんがが垂直面でも水平面でもアーチの一部をなすため、隣り合う石材同士が押し合って、しっかり固定される」のだが、サンタ・マリア・デル・フィオーレのドームの断面は正八角形をしていた。これでは八つある頂点で石材に切断面ができることになり、円形ドームのように互いに押し合うことができない。しかし、迫枠を作るためには厖大な木材と費用がかかる。しかも、それだけでなく、完成した後で撤去する作業が最大の難事であった。 1418年、大聖堂造営局はドームの設計コンクールを催す。そこに登場するのがブルネレスキとギベルティという二人の金細工師である。彼らは以前にも聖ジョバンニ洗礼堂扉のブロンズ彫刻コンクールで競い合っている、いわば宿敵同士であった。洗礼堂扉はブルネレスキが共同作業を嫌ったためギベルティに任されることになった。しかし、すでにいくつかのドーム建築を手がけたブルネレスキである。建築にかけては素人のギベルティに今度こそ負ける訳にはいかない。ブルネレスキは迫枠も飛梁も用いない独創的な設計プランを提出する。最終的にはそのプランが採用されるのだが、作業が始まってからも難問続出。ブルネレスキはどうやって解決するのか。 ブルネレスキの時代、キリスト教信者が聖遺物目当ての巡礼に来るばかりで、ローマは荒れ寂れていた。パンテオンのようにキリスト教会に転用された建築を除けば、ローマ時代の遺跡は異教の信仰対象として敵視され見捨てられていた。水道橋さえ当時のローマ市民はその用途を知らず、テベレ川の汚れた水を飲んでいたという。ブルネレスキはドナテッロとともにローマの遺跡を掘り起こし、ギリシア・ローマ時代の建築の比率を研究し、暗号でそれらを書き残している。ことは建築に限らない。当時ローマ時代の古文書が相次いで発見されている。それらは15世紀の芸術家、哲学者、建築家を古代ローマ人と結びつけた。イタリア・ルネッサンスの始まりである。 原題を直訳すると『ブルネレスキのドーム・フィレンツェ大聖堂物語』となる。本来の主人公はブルネレスキではなくドーム(とそれが象徴するルネッサンス)だろう。材料の石がどこで切り出され、どのようにして運ばれたか、石工達の作業はどのようであったのか、その石を使って実際に巨大なドームを創り上げるブルネレスキ達アーティストの仕事ぶりはどうだったかなど、ドーム造りの現場を素材に当時の様子が生き生きと描かれる。聖堂造りの物語を通して何故ルネッサンスがイタリア(フィレンツェ)に起きたのかが見えてくるという、なかなか心憎い仕組みになっている。

Posted byブクログ