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A2 の商品レビュー

2.8

8件のお客様レビュー

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2022/03/04

オウムの実態を内部から撮ったドキュメンタリー映画「A」の続編「A2」。 その撮影日誌。 今度は地元住民との関りです。 そこには、報道されなかった真実がありました。 映画も観なきゃ。

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2020/09/06

三部構成 第一章は森さんが書いていたのでAに続いて楽しく読めた 第二章は映画を文章化したもので退屈で読み進めるのがしんどかった 第三章は安岡さんが書く森さんの印象について オウムに関する話は第一章

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2017/02/21
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

アーレフ(旧オウム) のドキュメンタリー映画「A」の続編「A2」の撮影日誌 と、映画のシナリオです。 映画については未見です。 信者サイドや住民サイドのいずれかに立つのではなく、 事実と自分の思いを淡々と書いていくところが良いです。 映画という形にまとめるに当たって、どこを入れどこを捨てるのか どう見えるように撮るのか、様々な逡巡が見て取れます。 責任は取れない、 最善は尽くすけれど他人のために闘う気はないというのも 正直だなと感じました。 横浜のオウム本拠地に抗議行動を仕掛ける人たちが、 あまり攻撃的ではなく、森監督が書いた、信者と地域住民の共生関係についての 週刊誌の記事を読んで、信者サイドの真意を尋ねようとするシーンなど 当時マスメディアに取り上げられることが あまりなかった光景がここにはあります。 結局何事にも言える事ですが、個人の信頼関係が重要で そこさえ解決できれば大方の揉め事というのは解決するのではないか と改めて思わされます。 同じ人間同士で、しかし分かり合えないという状況において 実は相互の理解が足りないだけというのはよくあること。 わからないものが怖いというのは動物の本能です。 わからない、怖い、だから攻撃する、遠ざけるというだけでは 相互理解が生まれる機会を逸します。 悪役だからといって、その子供の痛みを正当化する論理を持たない というのに共感しました。 宗教団体だから、弱い人が来る。 精神の病のある人も、宗教団体だから全て受け入れる。 そして問題を起きる、というのも、確かにそういった図式もあるのかもしれないと思わされました。 信仰が正しいか間違いかではなくて、 信仰を通じて誰がなにをしようとしたのか その背景はなんなのか。そこが重要なのです。 住民たちと信者たちが仲良くなって会話をすることもあるようになり 笑顔で「脱会しろ」というシーンも印象的でした。 "妥協でも譲歩でもないー共有ー" それが解決できる唯一のやり方なのかもしれません。

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2014/10/29

前作に続いて読了。 魔女狩りを彷彿とさせる。 正義を前提にしている行動こそが一番悪質だといつも思う。 それは誰にとっての正義だろう。本当に正義だろうか。思考停止している人には届かない。 シナリオ採録が読み辛いというか、雰囲気が掴みにくい。 作品に対する森氏の方針故とは思うが…...

前作に続いて読了。 魔女狩りを彷彿とさせる。 正義を前提にしている行動こそが一番悪質だといつも思う。 それは誰にとっての正義だろう。本当に正義だろうか。思考停止している人には届かない。 シナリオ採録が読み辛いというか、雰囲気が掴みにくい。 作品に対する森氏の方針故とは思うが…(本として読ませるための)ト書きはもっとあってもいのではないかと。。 前作は「オウム」についてが内容の中心だったが、本作は「A2という作品」についてが内容の中心になっている。その点で前作よりも私の興味としては満足度が低い。

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2014/06/28

警察は、私たちの生活を守ってくれるから好き。右翼は、街宣車がうるさいから迷惑。町内会の役員さんは話が長そうでちょっと苦手。オウムの信者は何考えてるかわかんないから不気味。 …こんな風に単純に言い切れるわけないよね。

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2011/09/30

★「A」より、薄い★Aとは違い、こちらは映像を先に見た。改めて思うのは森達也は文章がうまい。ただ、映像と同様、Aよりも響かなかった。荒木氏を中心に据えた第一作より、「オウムと社会のすれ違い」という幅広な視点を軸にしたため事象が並列されて力点が分散したように思える。  興味深かっ...

★「A」より、薄い★Aとは違い、こちらは映像を先に見た。改めて思うのは森達也は文章がうまい。ただ、映像と同様、Aよりも響かなかった。荒木氏を中心に据えた第一作より、「オウムと社会のすれ違い」という幅広な視点を軸にしたため事象が並列されて力点が分散したように思える。  興味深かったのは製作者の安岡卓治の森評で、フィルムの作法を知らないからビデオカメラの単独撮影という手法しか取れなかった、カメラの扱いがずさん、と指摘する。いわばプロとしての基本がなっていないことが、傑作を生んだのかもしれない。

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2011/06/28

集団に帰属することから来る思考停止と一意的な自主規制、そして定型化と堕落、、、こういう問題はマスメディアのみならず、医療の世界でも普遍的に見られる問題である。もちろん、日本固有の問題でもない。この思考停止、自主規制、定型化、堕落に頑なにノーをいい続ける森達也のオウム真理教取材記パ...

集団に帰属することから来る思考停止と一意的な自主規制、そして定型化と堕落、、、こういう問題はマスメディアのみならず、医療の世界でも普遍的に見られる問題である。もちろん、日本固有の問題でもない。この思考停止、自主規制、定型化、堕落に頑なにノーをいい続ける森達也のオウム真理教取材記パート2.思考停止がどのように起きるのかを理解するケーススタディーとしても興味深い。現場でも応用可能。

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2010/11/02

予告編を見ただけで、長いこと積んでいた「A2」を見たあと、「A」に対する『「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』のように、「A2」にも撮影記録の本『A2』があることを知って、図書館で借りてくる。映画の本篇で落としたエピソード、採録シナリオ、そしてプロデューサーとして森と二...

予告編を見ただけで、長いこと積んでいた「A2」を見たあと、「A」に対する『「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』のように、「A2」にも撮影記録の本『A2』があることを知って、図書館で借りてくる。映画の本篇で落としたエピソード、採録シナリオ、そしてプロデューサーとして森と二人三脚で「A2」を撮った安岡卓治のテキストが収められている。 イスラムのドキュメンタリー監督・モグラビとの話のなかで、森が「ドキュメンタリー」について書いているところがある。 ▼断言するが、ドラマとドキュメンタリーの差異など実はほとんど存在しない。台本の有無や、登場人物が俳優か素人かなど、作品の本質にとっては実に瑣末なことでしかない。もちろん絵コンテに従って撮影を重ねてゆくドラマと違い、ドキュメンタリーは撮った映像をベースにストーリーを構築するという手順の違いはある。しかし逆に言えばその程度だ。その境界はラインではなく曖昧なゾーンとして存在すると僕は考えている。(p.31) ここを読んで、ああそうなのかと思った。私の中にも、ドキュメンタリーは「ホンモノ」で、ドラマは「ツクリモノ」という意識があるなあと思った。そんな私の認識は、どうやってできたのだろう。 森のいう「ドキュメンタリー」のストーリー構成は、取材をしてきた素材をもとに記事を書く、という文字の仕事にも似ている気がした。

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