ニセモノ師たち の商品レビュー
おもしろーい! なんでも鑑定団でおなじみの、中島誠之助著「ニセモノ師たち」 2001年10月発行、13年も前に出た本です。 ちゃんとした骨董商は鑑定をしない。 自分で見て、判断して、買い、売るのが基本であり、 人の持ち物の鑑定は決してしない。 どうしてもの事情で引き受けても、 ...
おもしろーい! なんでも鑑定団でおなじみの、中島誠之助著「ニセモノ師たち」 2001年10月発行、13年も前に出た本です。 ちゃんとした骨董商は鑑定をしない。 自分で見て、判断して、買い、売るのが基本であり、 人の持ち物の鑑定は決してしない。 どうしてもの事情で引き受けても、 それが本物だろうがニセモノだろうが言わない。 お茶を濁す程度のコメントだけを言う。 鑑定というのは、本物だとたくさん鑑定料をもらえ、 ニセモノだと安く、下手をすると1銭も出ない、 その上、恨まれるばかりだという。 だから、鑑定書がついている骨董品はニセモノが多いという。 また、鑑定書のニセモノもあり、鑑定書を鑑定することも必要とのこと。 鑑定書と、保証書とは違うことをよく心せよ、とのこと。 ニセモノをつくるすご技師たちの話もおもしろい。 技術力からすると本物を作った作家に匹敵する人もいる。 土をつけたりして古いものにしているプロの「汚し屋」もいる。 杯なんかは、実際に自分で酒を飲んで接着剤の跡を消したり、 ”手あか”をつけたりして古さを長時間かけて出していくこともある。 プロの骨董商は、ニセモノをつかまされても決して文句は言わない。 自分に見る目がなかった、と自分の糧とする。 骨董商同士、ニセモノと分かっていながら売り買いをするケースもある。 大昔にニセモノをつかまされた復讐を、 大金をかけて果たすスパイ大作戦のような実話。 本物かニセモノかの判定は、 実物を見る前、その骨董品にまつわる話を聞けば判断できる。 とくにどうして売ることになったかという話にはパターンがある。 戦前の東大以外の帝大を出た人が騙されやすい・・・・ などなど、著者自身が騙された経験、 片棒を担がされた経験などがたくさん語られていて、 実にリアルで楽しいお話でした。 私も取材したことある大阪の有名骨董店の話も出てきました。
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なんでも鑑定団の中島誠之助。なんとなく、味のある人物。 あのような落ち着きが生まれるには、相当の修羅場をくぐってきたと思う。 この本を読みながら、「騙されたほうが、悪い」という業界が、 骨董品業界の常識なんですね。 そして、中島誠之助も相当 「夜の梅」的なことをしてきたのだなと納...
なんでも鑑定団の中島誠之助。なんとなく、味のある人物。 あのような落ち着きが生まれるには、相当の修羅場をくぐってきたと思う。 この本を読みながら、「騙されたほうが、悪い」という業界が、 骨董品業界の常識なんですね。 そして、中島誠之助も相当 「夜の梅」的なことをしてきたのだなと納得した。 そうであるがゆえに、目利きとなり、誠実になろうとしている。 何しろ「誠之助」だから、名前に負けないような いい仕事をするのだろう。 確かに、骨董品は、限られているものであり、 「代々伝えられ、守られるべき品であり」、 増えて、生産されるというものではない。 その限られたものを、どう評価し、価値をつけて、商品にするか? にかかっているので、ニセモノの存在は、売れる商品が広がるので都合がいいのだ。 ニセモノに引っかかる3つの条件は ①その品物を買ったら儲かると思った時 骨董の言葉で言えば、「ヤマが深い」つまり「欲が深い」 ②勉強不足;マニュアルを超えた美意識、広範な知識としての時代背景の研究、経験による感性の訓練がいる。 ③お金があること。 なるほど、まさしくそうだ。詐欺にはまりやすい人も、これに当てはまる。 そして、「骨董を見分ける前に、まず人間が見分けることができるか」ということだろう。 無欲で、出発点を高くすれば、美意識が磨かれる。 知識すなわち学問が土台になって、その上に美が成り立っているのはアンバランス。 身体で覚えた、感性で覚えた人が勝利する。 いやはや、骨董品で、本当に 世界が学べるものですね。 「いい仕事してますね」
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