グローバル資本主義 の商品レビュー
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【まとめ】 Ⅰ、国際経済を支える政治的基盤の弱体化 冷戦が終わり、国内外で政治的統一が失われている。覇権レベルでは米国のリーダーシップへの意志と能力に疑問符が付き、国際レベルで経済的地域主義の進展や金融危機など多くの不安定で警戒すべき問題がある。市民のレベルでもアンチグローバリゼーションが流布し、新重商主義やポピュリムにさらされ、戦後の理念としての自由貿易への合意が失われつつある。このように、国際経済を安定化させる政治的基盤が弱体化していると考えられる要素が生じている。しかし、われわれは何かグローバリゼーションを大きく抗えないものと過大評価しているのではないか? Ⅱ、グローバリゼーション批判を正す グローバリゼーションに関して多くの議論が交わされ、富の分配の偏り、国家主権の衰退や、経済政治的制度や慣行の収斂化、先進労働者の雇用喪失や低賃金化などがグローバリゼーションに理由を求める。しかし、それらは誇張に満ちたものが多い。経済のグローバリゼーションを貿易、金融、多国籍企業の対外直接投資における進展と解するならば、貿易、対外直接投資の圧倒的多くは三極(米日西欧)と東アジアなどの新興市場など地域的偏りがある。雇用の喪失は技術革新による説明がより説得力を持ち、富の偏りは政治経済における保守的イデオロギーによる政策が原因だ。国家主権の衰退は福祉国家から19世紀的国家への回帰現象と見なせ、経済に関して国家がなし得ることは、かつての方が著しく弱かったことに注意しなければならない。多国籍企業はあくまで特定の国籍を持つ企業であり、その行動は本国社会の経済政策、経済構造、政治的利益から決まる。 グローバリゼーションは依然として、国内及び国際情勢の本当に決定的要因とはなっておらず、各国間の差異や政治に取って代わるというのは言い過ぎである。依然として「国境は国際経済の流れの障壁」のままなのだ。 Ⅲ、政治的基盤を回復するために 米国は未だ卓越した軍事力を有し、また世界に対する第一義的責任を有するが、世界をリードする意志と能力をこれから先も持ち続けるかが非常に問題である。地域主義化が閉鎖的にならないよう、米国は広く政治的協調を確保するためにパワーを発揮しリーダーシップを発揮する必要がある。 米国はその経済規模の大きさを満たすため、統合されたグローバル経済を必要とする。そのため米国は地域主義(のブロック化)を警戒する。米国を排除するような取り極めは、その地域への軍事的プレゼンスを正当化出来ず、各地域に政治的緊張が増すだろう。 米国はこれまで過剰な消費により分不相応な成長を享受して来た。国際収支上の赤字はこれら国民経済の結果であり、この国際的貿易不均衡が保護主義や重商主義の要請を生んでいる。今後この流れを逆転させ、米国は純輸出国となる必要があるが、これによって国際経済に緊張をもたらす恐れがあり、日米欧の協力が必要とされる。 【本書の構成と感想】 本書は国際経済法や国際レジーム論、戦後国際経済史などを(2~9章で)カバーしている。そこでは、事実的な事柄を述べ、その解釈が並論されており理解に役立つ。 筆者の主張を理解するには、序、1、2、10、11章を読めばいい。その他は読み飛ばして筆者の主張は分かる。第7章「欧州地域統合」は今日の欧州のユーロ危機を学ぶにはいいかもしれない。特に、ユーロ導入に対する批判派の主張が、理由を含めほぼ100%そのまま生じていることには驚かされた(p197-200)。 本書は基本的に国際政治経済学のリアリスト(覇権安定論)に従い、米国(及びその理念)の相対的衰退が国際秩序を不安定にさせているというトーンで書かれている。19世紀から第二次大戦前に見られたパクスブリタニカの衰退が、帝国主義によるブロック経済を招き、破局を伴ったことから導きだされた議論の延長線上にある。しかし、本書の特徴はむしろ、先進国で見られるグローバリゼーション批判が誇張されていることを冷静に説く点で、未だに国民国家内外の政治が経済や市場を決めているのだという主張を展開している点だと思う。 もはや国内と国際問題を分けることは出来ないとの反論や、米国中心のグローバリゼーション理解で、途上国との相互作用を考慮に入れていないと批判は出来る。しかし、本質的にギルピンの論は、冷戦後に共通敵を失った、比較的自律性を有する3つの経済大国(三極)が、ともすれば経済的に敵対関係になることを避けつつ、米国主導の国際秩序をいかに保つかに論点がおかれていることが大事である。そのために自由貿易の理念を守護しながら、クリントン政権の経済中心の外交政策を厳しく批判している。
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